旅は、感受する栄養を蓄えるんだ

「森の遊歩隊」のリーダー・益田さんから、先週末に連絡あり。

「6月17日の遊歩は、7月1日に延期します」。

雨の心配と、サンショウバラの花がまだ咲いていないらしい。今回はサンショウバラ群落から巨大ブナの森へ行くのが狙いでした。

「森の遊歩隊」は、文字通り森をトレッキングする集まりで、山頂を目指すものではありません。すでに2回歩きました。

小田急小田原線で、9時に「新松田駅」集合し、須走・立山から畑尾山を歩く。山の名前はもちろんですが、毎回、知らない駅を指定されるので、「それは、どこにあるの?」と鉄道路線図を見る。

事前の計画書には、コース概要やコース解説、地図や写真も送られて来ます。

悲しいことに、文章で説明されていることに想像力が働きません。見当がつかない。猫に小判

植林地帯から自然林へ、標高差100mにわたって分布するサンショウバラ、動物の砂遊び。

実際に見ても読み取れないでしょうね、たぶん。

熊も出る。「木の皮がはがれ、鋭い爪痕も残ってます。古いものは樹液が固まっていますが、新しい爪痕で樹液が出るのを待っているようなものもあります」。

7月1日に、益田さんから「これ」と言われなければ、わからないよなぁ。

山歩きって、ほんとに総合学習なんです。自然は無言の先生。こちらに質問がある時だけ、応える。

世田谷区でやっている「旅へのいざない」セミナーで、「旅する哲学」集英社刊が参考図書にならんでいたので、早速読んでみました。

著者のアラン・ド・ボトンは、ロンドン大学で哲学を教えている。旅をするテーマを「磁場」といい、ガイド役に画家・文学者をたてる。

その第5章は、自然と向き合う愉しみ、とある。

「磁場」は、イギリスの湖沼地帯。ガイドは、ワーズワース。詩人を追想して、現代を歩く。

ロンドンに帰り、交通渋滞につかまり、山ほどの会議や返事を出さなければいけない時、意識の中にクッキリと姿を現す。「あの木々は、思いの数々を預けておく岩棚のようなものだ」と。

表紙にもなっているエドワード・ホッパーをガイド役にしているのは、第2章。

「磁場」は、ガソリン・スタンド、空港、飛行機、列車など。

ホッパーの絵といえば、孤独。

「今、別れてきたばかり」とか、「何か、まずいことが起きた」という情景ばかり。喪失や裏切りの物語を想像させるから、誰もが自分を覗かれたようにハッとする。

そっけなく、がらんどうの聖域。そこで、悲しみにくれるほうが心が休まるとは、なんとナイーブな心証でしょう。

最終章は、日常生活の再発見。

「わが部屋をめぐる旅」で名を売った人らしい、ジョゼフ・メーストルがガイド役。

つまりは、近所を「旅」してみようと説く。

旅は目的地で語られることが多い。僕らは「退屈な日々の生活から素晴らしい世界へ送り出されたいという、曖昧な憧れ」から旅をする。

だから、新しい場所には、謙虚に歩み寄る。

その姿勢で、近所を歩きディテールを見よう。すでに目にしているものに注目してみよう。どれほどの手間でもないのだから、と促す。

すぐ、促されます。

砧公園を流れる、谷戸川。残念ながら、川沿いには柵があって河原に近づくことはできません。

公園内に架かっている4つの橋からしか、川を見ることができません。名も無い川マイスターを目指しているので、これがどこから来て、どこへ流れていくのか? 気になる。 

地勢や治水を知りたくなり、地誌で調べるとどうなるかも楽しそうだし、動植物や鳥や虫図鑑に手が伸びつつもある。

「あのストックは、いかがなものでしょう?」と、益田さんからやんわり否定される。

前回の「森の遊歩隊」で、僕は傘を工作してストックを作り、持参しました。専門家に言わせれば、山はご近所散歩とは違うということです。

そうだよねぇ。

用賀駅前にいた「ヨキ爺い」。駅前商店街の着ぐるみキャラ「ヨッキー」のお爺さん。傘ストックは「ヨキ爺い」にあげよう。

それでは<これからショータイム>

・7月2日 ビルボードライブ東京 ¥8500 ジャネット・ケイ