悪の化身は、善の化身でもあった

今年の7月、タイ行きを計画している旅ガラス娘「迷子だっち」と、駒澤公園で会いました。

彼女は、大海でプカプカ浮かんでいるのが大好き。気分が解放されるらしい。訊けば、幼稚園の頃から浮かんでいたから、僕のように、にわか泳ぎとは違います。

足が届かない海で、浮かべるのがうらやましいね。本人は、「海で浄化する」と言ってます。

星占い・手相・ハーブ・ヨガも、よすがとしてます。趣味、とはチョット違う。

公園では、気が向けばヨガやっちゃう。天の運気と向き合う。純な人だから、声は掛けない。

彼女が最近読んだ本は「ガラクタ捨てれば自分が見える」
カレンキングストン著。

読んだら、いてもたってもいられず、一掃開始。その量、ごみ袋8袋・粗大ごみ3袋、古本雑誌2箱と続き、合計すると20袋。

爽快だったでしょうね。

すると、魔法のように見えるものも・見えないものが、よどみなく流れていきました。

当方、ごみを溜めっぱなし、よどみっぱなしだから耳が痛いよ。

魔法といえば、オペラの「魔笛」に、「夜の女王」ってのが出てくる話を聞きに行って来ました。

大妻女子大学で、毎月やっている「ラーニングコモンズ」という講演会。オペラのコモンズが無いからね。

講師は、原研二教授。

プロフィールや著書欄を読んでみると、あの「学魔」高山宏兄さんの同僚にして、ほぼ同一ジャンルの研究者でした。

「最近は、山にこもって昆虫採集に凝ってます」と、まずMCがリラックスさせる。

「『魔笛』の初演は、1791年でフランス革命のただ中でした」。

モーツアルトが大天才と騒がれ出すのは19世紀になってから。つまり、彼はリアルタイムで注目の人ではなかったのです。

それに、シカネーダーが書いた台本を、曲想に合わせて変えた。当時は、著作権なんていうものも無かったから。

肝心のオペラを知らなくても、こういう豆知識はおもしろい。

そして、肝心の「夜の女王」。

前半は、娘を思う優しい母として登場。後半は、理性を失い復讐に狂う女になる。

娘パミーナは、めでたく王子タミーノと大団円を迎えるストーリー。ところで、魔法の笛はどのシーンに出て来るのだろう? 笛で、何がどう変わるのだろう?

講義は、舞台に出て来る「夜の女王」のモチーフ、図像を巡る内容でした。

雲海に浮かぶ月の船に乗って現れる「夜の女王」の図像は、有名らしい。

3列の星が、ドーム状に天に向かう図像。

プロイセン時代の建築家・シンケルの造形。それを、どんどんさかのぼっていく。

デューラーの「マリアの生涯」扉絵で、鋭い鎌のような月に乗るマリアにヒントを得て、シンケルは「夜の女王」を描いたのだという。

じゃぁ、デューラーは何をヒントに「マリアの生涯」を描いたか?

黙示録には、光り輝く衣装=太陽を来た女性が、頭に12の星の冠を戴いている絵があった。足下に三ケ月を踏んでいる図。その三ケ月に掛かる裾が、人の横顔のように見える。

とうとう到着しました、ガリレオ・ガリレイ。時は1600年代初頭。「魔笛」初演の、約200年前。

望遠鏡を使って、月の表面をかなり詳細に銅板で残したガリレイ著「星界の報告」。

見方によっては、あばた顔に見える部分もあった月の表面。これに、画家たちは想像力をかき立てられたに違いない。

1617年に、ヤンセンスは「心変わりする不実の月よ」という画題で、花王石鹸のような月を右手に掲げ、胸をはだけた女を描いている。

太陽と月は、陽と陰、善と悪、誠実と不実、啓蒙と蒙昧など対比で語られるけど、共存していることを改めて知る。

「夜の女王」は、人間そのものだった。オペラの入り口って、いろいろあるんだね。

それでは、<これからショータイム>

・6月28日 ブルーノート東京 ¥10500 SADAO WATANABE