司馬遼太郎も居合いの稽古したかな?
手裏剣の「凝りだっち」のことは、覚えておいででしょうか?
手裏剣って、あの手裏剣?
そう、あの手裏剣。かみさんがコミックエッセイ「ある日突然、ダンナが手裏剣マニアになった」を出版し、ちょっと名が知られ、とうとうNHK「熱中人」に登場した「凝りだっち」山下知緒兄さん。
次男坊が、番組をDVDにして持参しました。
かみさんが夜9時に帰宅すると、兄さんはベランダのガラス戸に向き合って、シャドー手裏剣やってます。
歩いていても、突然立ち止まる。「どうしたの?」とかみさん。「あの灯籠までの間合いを測ってる」。
食堂に入って、箸を見て「これも手裏剣になるかな?」。「やめなよ、お店の人が怖がるから。これはお箸だからね」。
「手」の「裏」に納まる物は、なんでも「剣」にしたがる。ボールペンでも、楊枝でも。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」これ宮本武蔵の言葉。座右の銘にしてますから、今日も発泡スチロールの箱を相手に楊枝を飛ばす。
昼は、「難しすぎる手裏剣術」の原稿を持って、出版社に売り込み。「簡単・楽しい手裏剣術」じゃないから、困る編集者。すでに、50社以上に断られる。
姿勢は、大いに正しい。兄さんは求道しているのですから、「簡単・楽しい」はずがない。負けるな、山下知緒クン。
彼は、次男坊の友だち。10年前に紹介され、1年前に僕が長男坊に紹介。
彼と話しているうちに武道に目覚めたのか、「坂の上の雲」をめざして、長男坊は模擬刀と稽古着を買い込んで居合い道場通いを始める。
ところが、「凝りだっち」と違って世間並みに働いているから、都合で通えなくなった。月謝を前納していたので、稽古を父親が受け継ぐ。
この経緯、なんだかバカ親子だよなぁ。
道場は赤坂図書館の裏手にあります。
図書館のリサイクル棚で「新撰組血風録」司馬遼太郎著を入手。これは、すでに立川談志師匠の朗読を3つ聴いてました。
今回、改めて耳と目で追う。
CD化されているのは、「近藤勇 虎徹」「土方歳三 芹沢鴨の暗殺」「沖田総司 菊一文字」の3つ。
やはり、音の芸と字の芸は違う。
本を読まなくても楽しめるのが話芸だし、本は漢字が表意文字として生きている。音読じゃ、わかりにくいのです。
居合いの稽古で模擬刀を振り回している身としては、やはり、刀とか立ち会いのことが気になります。
近藤勇は虎徹。土方歳三は兼定。沖田総司は菊一文字という刀だった。
菊一文字。
細身で腰反(こしぞ)りが高い。波文(はもん)は一文字丁字(いちもじちょうじ)と呼ばれる焼幅(やきはば)のひろいもので、しかも乱れが八重桜の花びらを置きならべて露をふくませたようにうつくしい。
まるで、わからない。
鎌倉時代の古刀の代表的なものだって。そして、間合い。
これ、習ってます。刀の切っ先で、人を切るイメージの反復練習。
鞘を離れきった瞬間に、相手の脳天が割れたりする。って、そんなイメージが簡単にもてるなら苦労はしません。
シャドー立ち会いを、千日万日稽古することを座右の銘にしない限りは、無理ですよ。
で、「こやつは、できる」と草鞋が土を噛むようにならないと、無理。
気迫とパロディのパラレルワールド。バーチャルの極北。困ったなぁ。
「勢いよく沖田の足もとにむかって頭からのめり、どさっと倒れた」。相手、昇天。
ちなみに、近藤勇・沖田総司は天然理心流、僕の道場は無外流。それが?って言われても・・・。
それでは<これからショータイム>