天罰だけは受けたくないでしょ?
赤坂図書館には、港区がやっている各種イベントのチラシがラックに入ってます。
どこだろうね? トーゴ。夏になると、俄然アフリカに目が向く。
調べたら、西アフリカにありました。
東隣はベナン、西にはガーナ。北にブルキナファソで、南は大西洋。ギニア湾に面してますが、海岸は短く、南北に長い国。
・15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていた。
大航海時代は、スペインとポルトガルは「ならずもの国家」でした。そのやり口を、イギリス・フランス・オランダが引き継いで、我が世の春を謳歌してきた世界史。
で、さっそく「アフリカの笑顔、トーゴを知る」のHPに飛ぶと、やってました、トーゴの音楽。
次々に映像を見る。アフリカはいい。
とりわけ、田舎に行きたいね。民族音楽が聴けそうでしょ? 哀愁のある民謡。
イベントは7月21日、高輪区民センターであります。
図書館に返却したのは、「怒りの葡萄」。読むのがめんどうなので、DVDを見ました。
古典といわれる文学は、たいていDVDになっているので助かります。気が向いたら書いている「残り物名画座」。
今回「怒りの葡萄」は、1930年代の世界恐慌が背景にあります。スタインベックの代表作。
原題は、The grapes of wrath。「怒り」なら、angerじゃないの? 辞書を見たら、angerより激しい怒りなんですね。
激怒・憤怒・憤然の他に、天罰の意味もある。The grapes of wrathは、神々の怒りの象徴とあるから、雷鳴とどろき天地がひっくり返るほどの怒り。
葡萄grapesは、ワイン文化の西洋ならではの象徴と読みました。
だれが、そんなに怒っているの?
1930年代、米オクラホマの小作農です。
不作で、土地建物を銀行におさえられ、しかたなくポンコツトラックに乗せられるだけの荷物を乗せて、カリフォルニアを目指す。
道中、おじいさんが死ぬ。
寄った先で「果物摘み、800人募集」の張り紙を見る。ルート66を通ってニューメキシコ、アリゾナ。そして希望の地カリフォルニアに到着。
果物摘みは、1ヶ月前に募集を締め切っていた。市郊外に移動すると、そこはスラムで腹を減らした子供たちに囲まれる。
果物摘み経験者が、語って聞かせる。「1トン摘んで、1ドルだからやらないほうがいい」。
なぜ、そういうことになるのか?
不況で募集に群がる →
事業主は賃下げする →
「それじゃ、食えない」 →
「いやなら、替わりはいくらでもいる」 →
ストライキする →
事業主に雇われた集団が蹴散らす →
団結する →
「Redは追放しなければならない」。
主人公トム、それまでRedの意味を知りませんでした。その間、家族はバラバラになる。
一人、フレズノへ綿摘みに旅立つトムを見送る母。家族が崩壊してしまった母の「怒りの葡萄」。
「怒りの葡萄」は、現代の欧米にもアフリカにもある話。もちろん、日本にも未だある。これからも、ある。
トーゴやオクラホマへは行けないので、そろそろ清里に行くつもりです。
2シーズン目だから、今度は森も畑も畜産も落ち着いて見られそうです。
有機農業というのも、自家消費ではなく、流通させようとするとどれだけ困難な道かわかりました。消費者からみると高価だから。
でも、収穫量と時間と手間と技術を考えれば、高くならざるを得ない。それが、悩み。彼らは話題作りのために有機やってるわけじゃないから。
こういう技術も、有機農業に役立つかな? と思って新聞を読みました。
センサーとデータ分析で、温度や日照時間のデータを把握し、それまでの経験や勘を数値化するというもの。NECと全農とネポンという会社で開発中。
最適温度、二酸化炭素濃度、葉や実を間引くタイミングを産地ごとに作って、サーバーで共有し、だれもが腕利き農家になれるという試み。
農村文化も大切だし、生産性も大事。どっちか一方だけの主張は、退屈なだけ。ナンチテ。
最近、齋藤和義知りました。