今夏も行きました、浅草伝法院
その筋の業界用語で、タレ、というのがあります。
筋とは粋・意気を売る商売のこと。僕が知ったのは落語筋なんですが、タレとは、つまり女性・彼女のこと。
「俺のタレが、せがむもんだから」などと使う。
でね。明治・大正の頃は、義太夫がエンタテナーNo.1で、モテモテだった。今なら、さしずめロックミュージシャン。
その女版は、タレ義太夫。略してタレギダ。雷親父から書生まで、こぞって追っかけや出待ちをやった。
その、タレギダが21世紀にも生存していると知って、出かけました。
昨日、「すみだ川アートプロジェクト」で、SRAP式古文書講座を受講した話をしました。前の日は、浅草・伝法院でタレギダの田中悠美子さん を聴いてました。
三味線の中でも、太棹。ビ〜ン、ビ〜ン、ビ〜ンと腹に来る音です。名人・桂文楽師匠の出囃子「野崎」だけはわかりました。
ご存知、インドの楽器。
思っていたより、大きい楽器です。タージマハルのような宮廷で演奏された楽器。
宮廷音楽ということは、滔々と流れる伝説・説話もあるので、1曲が1時間半のもある。ヨシダさんの解説でした。
「20弦あります。3年付き合えば、理屈はすべて教えます」。シタール奏者がインドから来ると、よくコラボするらしい。
民族楽器の音って、血が先祖帰りするでしょ? どの国のものでも。水源に引きもどる感じ。
伝法院での演奏会、今年で2回目です。
普段は、入れない浅草寺の本坊です。将軍や宮家が参拝後に休憩したのが、この伝法院の大書院。演奏会があった場所。
去年初めて入った時は、建物もさることながら、お庭に見とれました。
池に泳ぐ鯉、石灯籠、松の枝振り、茶室。浅草の喧噪が、ここには届かない。
小さな掘り割り沿いに歩く。安永6年再建し、明治35年に建て増しした伝法院なので、築庭もその頃。
寄進された石のブロックが、堤になっている。シダの葉がおおう堤に、ずらり並ぶ苔むす名入りの石。
大文字楼 新吉原江戸町一丁目 と読める。他にも、玉齋楼・大阪楼・若招楼・角海老楼・萬花楼。遊郭の大店だったんでしょう。
魚がし・米角、お菓子・濱の家、髪洗い・左甚なんてのもありました。すべて粋筋。
浅草から、歩いて稲荷町駅を目指す。
去年の夏も、本郷の下宿が取り壊わされるというので、急いで出向き、レンガ1個入手しました。
今年は、最後の同潤会アパートが解体されるというから、見学に行きました。
関東大震災後の1927年〜1930年に、16カ所で建設された、鉄筋コンクリート製の集合住宅。
1982年から取り壊しが始り、僕が育った家の前にあった鴬谷アパートは1999年に解体された。水洗トイレ・エレベーター・ダストシュート付きで、それぞれの部屋が独立してドアでつながってる。
うひゃぁ、障子がない家だ!
最後は、上野下にあったのです。壁も階段も屋上も、すべてが懐かしい。
木製の手すりをたどって、階上へ。踊り場は、共同の洗濯場になっている。
洗濯物も、たいがいの家では2本の木を立てて棹を渡してました。ここでは、鉄パイプを組んで、鉄のフックで棹を渡していた。
すでに、ほとんどの住民は退去してます。主を失った鉢植えが、割れた敷石に黙って肩を寄せている。
入手しました、割れた敷石。人目を忍ぶコレクション。シノコレ。