3回でわかるなら、苦労はしません
世田谷・サザエさん通りであった、「桜新町ねぶた祭り」の続き。
青森の本家では、ねぶたのサイズも桁違いと想像しますが、桜新町のものでも迫力充分。初めて見ました。
煌々と輝く武者のねぶた。見ると、2輪のリアカーに載せてあるので、上下に揺さぶることができる。跳ねたり踊ったりするハネトの歓声と、お囃子の音に合わせて、ねぶたが夜空にうねる。
力強い、動き。
名前も書かれている。「碇知盛」(いかり・とももり)。大きなアンカーを脇にかかえ、憤怒の形相で刀をくわえている。
ねぶたが、クルリと一回転すると、裏には厳島神社の絵。
「もしかすると、平清盛のなにか?」。
そうでした、平知盛。清盛の四男坊。兄さんたちがグズで、彼は武の才覚があったから、父親からは期待されて育つ。
叛乱軍には総大将となって指揮を執り、清盛亡き後は、実質的な一門のリーダー。
3月24日、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡をさとった知盛は、海へ身を投げた。享年34歳。
時に、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着たともいわれている。「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して。
遺体が浮かび上がって晒し物になり、辱めを受けることがないように。武者は、心得が違う。
行ってきました。秋山良造さんの平家琵琶の会。
去年まで5年間、平家物語を30回で通しで開催。僕が参加したのは、今年から。
人物が好き、悲恋が好き、戦のシーンが好き、短歌が好きと、平家物語も人によってまちまちです。
今年は、女性をテーマにして平曲を語ってます。
前々回は、「二代后」と「小督」。前回は、「殿上闇打」と「祇園女御」。今回は、「清水冠者」と「木曽最期」。
源義仲の話。
「国文学研究者の間では、巴御前と木曾義仲の子が、清水冠者だろうと言われています」。
例によって、琵琶で語る前に説明をする秋山さん。
「そして、木曾義仲の最期が、宇治川の戦い。義経軍に破れるところです」。現在は住宅街、当時は湿地帯だった古戦場と進軍ルートを解説。
平家物語には、たくさん戦闘シーンが出てくるが、もっとも壮絶で悲哀がある。
らしいのですが、やはり3回参加したくらいでは、陰情を味わうことは難しい。耳がついていきません。
大音声(だいおんじょう)をあげて「日本国に聞えさせ給ひつる木曽殿をば、三浦の石田の次郎為久が討ち奉たるぞや」。
これが、「木曽最期」。
今回は、前2回のチンプンカンプンをふまえ、岩波文庫「平家物語」を持参して参加しました。秋山さんの平曲は角川文庫版を語っているので、若干違う。
いずれにしても、文字は追えても、耳は留守。耳は聴こえても、細部の意味不明。
やはり、事前に音読しておかないと、ひたることはできません。険しいィ。
もしかすると、「木曽最期」は歌舞伎や文楽になってるのかなぁ?
「碇知盛」は、歌舞伎「義経千本桜」の名場面なんだって。知盛が崖の上から碇と共に仰向けに飛込み、入水する場面がクライマックスなのだ。
「月岡芳年」新人物往来社刊を見ていたら、壇ノ浦で死んだ知盛は亡霊となり、義経・弁慶に立ちはだかる絵がありました。
義経・弁慶が、同族の義仲を討ったのは1184年1月20日。落ち着くひまなく、2月7日には平家と一の谷の戦い。
翌85年、2月19日に屋島の戦い。3月24日に壇ノ浦の戦い。ここで入水した知盛。秋山さんがくれた資料から。
この時期、さぞ海は冷たかろうねぇ。話には、続きがあります。