ほんとに、やっと会いに来れました

さて、栗の町・小布施紀行。

その前に、ご当地鉄道案内。

長野まで、東京からなら新幹線に乗るでしょう。僕は清里から向かったので、まず、小諸まで出る。軽井沢を始発し、小諸・篠の井・川中島を通って長野に至る、しなの鉄道を利用しました。

午前は長野駅で降りて、善光寺詣り。

午後から、長野電鉄・長野線で小布施に向かう。なんと駅は、地下。地下鉄ですよ。駅舎で、「永谷園 信州限定 野沢菜茶づけ」&「ありがとう、長電2000系 2012年イヤーモデル電車缶 七味唐辛子」を買う。

1957年創業時の車両200系は、2012年春に新型車両に交代したという。別れを惜しんで、鉄ちゃんたちが大量におしかけたことでしょう。

僕は、なんでもかんでも七味唐辛子をかけたがる派だから、いくつあってもいい。

路線図を見る。終点は、湯田中。先に、志賀高原が広がる。

「ここだったんですね」と、天に声をかける。

スカイラインを生み、育てた櫻井真一郎さん。開発の裏話を20年ばかり聞き続けました。志賀高原にスキーに出かけ、碧空に浮かぶ山並みを眺めて、開発中のクルマにスカイラインと名付けた。

音楽が好きだった、櫻井さん。聴いてください、バッハ

しばらく、千曲川の反射を見て無口になる。

小布施駅に到着した時は、とっぷりと暮れてました。

栗拾いに来たのに、駅長から「時期が早い」と言われて、疲労感倍増。駅舎内観光案内所もすでに閉まっていて、疲労感3倍増。

宿さがしで途方に暮れていると、駅舎に続く施設で織物教室をやっている先生に助けられました。

「もう、教室は終わったので、今からクルマで連れてってあげましょう」。う〜ん、助かるぅ。

到着したのは、ユースホステル「おぶせの風」。

清里通いをするようになって、そこから足を延ばしたい時、ユースに年齢制限があるか気になっていましたから渡りに船。

年齢制限どころか、学生時代と違って、今は高齢者が積極的に利用しているのだ。

と、迎えに出たペアレントの言葉。懐かしいでしょ? ペアレントだって。でも、ユース恒例の夜のミーティングという習慣は、無くなったらしい。

ジジ・ババホステルじゃ、ミーティングで歌ったり椅子とりゲームはしないでしょう。

町の地図をもらう。

栗の小径、栗日記ギャラリー、栗の木美術館、栗の木テラス、栗庵風味堂、グリーン栗里、小さな栗の木ホール、福栗焼き、栗ガ丘小学校と、町は栗づくし。

夜目にも、町の雰囲気が、しっとりしているのがわかる。信州の小京都。栗菓子の「小布施堂」本店ののれんも栗の柄。

あたりは、瓦をのせた日本家屋が点在する。

北斎館もありました。肉筆画を集めた北斎館は、夜が遅いのですでに閉館。

隣は、「傘風舎」と名付けた「小布施堂」の栗菓子工場。壁面に、北斎画「傘風子(さんぷうし)図」が描かれている。

近づいてみる。仙人が傘に乗って天の河を渡っているのだ。いかにも、北斎らしい天衣無縫さ。

晩年、小布施に呼ばれて近郊の寺の天井画を描いた葛飾北斎

栗と北斎の町。栗拾いができなくても、明日の散歩が楽しみな12日の夜だった。