栗を見たら、猿が支払う薬代と思うべし

長野県・小布施町に来て、町中の寺でなく、近郊の寺の天井画を描いたとわかりました。

江戸に住む北斎1760〜1849が、ご当地に呼ばれて最晩年の肉筆画を残した場所のこと。

心境は、エリック・アンダーソン

その時、彼は町から徒歩や駕篭で通勤したのだろうか? それとも寺に住み込んだろうか?

落語「乳房榎(ちぶさえのき)」の情景がよみがえりました。三遊亭円生師匠の怪談「乳房榎」。歌舞伎でも演ります。

・江戸は柳島に住む絵師の菱川重信。美人妻のおきせが、待望の赤ん坊を産み、幸せに暮らしていた。

・そこに、伝手を頼って重信を訪ねて来る者あり。

・高田砂利場村に完成した寺・南蔵院の天井絵をぜひ描いてもらいたい、という依頼。

・重信、ここは女龍男龍(めりゅう・おりゅう)を描きたいと野心がふくらむ。

柳島とは柳橋、高田砂利場村とは高田馬場の見立てでしょうか? 当時は、寺に住み込まなければ作業ができないほど遠い。

そこで、絵の具箱や着替えを下男に持たせて、寺に住み込むことになる。これが、怪談の始まりで、寺の闇がクライマックス。

てなことがよぎりながら、見上げる。

画狂・北斎83歳で初めて小布施に来て、89歳で完成させた岩松院本堂の天井絵「八方にらみ鳳凰図」。この、ほとばしるエネルギーに、しばし動けなかった。

まず、極彩色が退色してません。

「辰砂、孔雀石、鶏冠石などの鉱石から作られた岩絵の具。その価は150両。金箔は4400枚」と、スピーカーから流れる。

鳳凰を描かなければ、北斎の命は10年延びたか、と思われる力業。いつまで見てても、見飽きない。

「本堂裏手には、小林一茶の蛙(かわず)合戦の池があります」ともスピーカーから流れる。

カエルが合戦する! なら、ぜひ見なければ。

毎年、桜の季節になると池にヒキガエルが集まる。メスの産卵をオスが手伝う。ところが、メスの数は少ないので、オスはメスの奪い合いになる。のだった。

蛙合戦。現場を見た一茶、たちどころに詠む。

痩かへる まけるな一茶 是(これ)にあり

裏山を借景にした小さな池。目を凝らして蛙をさがす。いませんでした。

斜面の墓地を一巡りする。「猿が出ます。無視してください。大変危険です」の立て札。猿、出てきて欲しい。無視しないので。

山門にもどる。また、一茶の句碑が立っている。

栗拾ひ ねんねんころり 云(いい)ながら  

一茶は1763〜1827だから、北斎が小布施に来た時はいなかった。でも、江戸で出会っていなかったか?

エリック・アンダーソン、もう1曲いきます? ブルー・リバー

門前の食堂で「おぶせ牛乳」を飲みながら、岩松院の背にひかえる雁田山を眺める。山の牧場で「おぶせ牛乳」は作られる。

せせらぎ緑道を歩いて、浄光寺を目指す。

左右は、一面の果樹園。柿、ぶどう、栗、りんご。それに名前を知らない果物。

りんごの木、初めて見ました。袋でカバーされているものもあれば、裸のものもある。庭があったら、果物ができる木を植えたいくらいだから、うれしい。

地面に、紅いのと青いのがゴロゴロころがっている。「もったいないねぇ、なぜ集荷しないんだろう」。

あとから町の人に訊きました。

ほったらかし、してるんじゃありません、もちろん。1本の木で、売れるりんごを実らせるには一定数があって、それ以上は落とす。残りのりんごに栄養を集中させるために。

そうとは知らず、とにかく落ちてるりんごを3個ばかし拾いました。りんごの甘いかおりがする。

浄光寺は、石段を上った先にありました。薬師堂の茅葺き屋根の曲線がみごと。設計図があるわけじゃないのに、鋏一つで、たおやめなカーブに刈り込む技に見とれる。

せせらぎ緑道にもどると、ここにも一茶の句碑。

大栗は 猿の薬禮(やくれい)と 見へにけり

薬禮って何? 調べました。医者に支払う代金、薬代。これで、一茶好き不動のものとなる。東京にもどったら、一茶研究に一念発起しよう。

小布施駅にもどって、「一茶館」なるゆかりの里が高山村にあるしおりを入手。ってことは、俳人の追っかけを信州でもできるってこと。

遊ぶ場所が、また増える。