黒田さんも、加藤さんも、桜井さんも

イラストレーターというよりも、画家に出世した黒田征太郎さん。

画風が自由ですから、前から好きでした。描く喜びがある絵。描かずにはいられない、という姿勢が感じられるのがいい。

音なら、ジョン・スコフィールド

で、彼の個展を見て、ますます好きになる。

数が違います。壁面に10点前後あるなんてものじゃなく、何百とある。

そして、額装しないところ。

額なんて、ちゃんちゃらおかしい。それでなくても、絵を見ないで額を見てるんじゃないか? と思えるふしに、がんとして絵だけで勝負する。

「作品」という言葉に対し、蔑称で「売り絵」という言葉があります。画家は、売らなきゃ生活できない。量産します。ですから、ほとんどが「売り絵」。

その100分の1か、1000分の1に、「作品」があることも確か。絵画、音楽、文学、写真、皆同じでしょう。代表作ってやつ。

そういう常識というか、範疇から、遠いところにいるのが黒田征太郎さんだなぁと、個展を見て感じてました。

彼も絵を売るために個展をやったのでしょうが、買う人はシロウトじゃない。たぶん。

シロウトが買える絵じゃないんです。子供の落書きに見えるから、わざわざお金を出さない。永遠のアマチュア。それが、いいのに。

と同時に。

夏に、美術解剖学を勉強中の加藤公太さんの自宅を訪ねました。

こちらは、自然科学的に絵をアプローチしていく手法。生物の形を、解剖してまで内部をわかろうとするんですから、これまた生半可な考えではありません。

姿勢に、うたれます。

なんでこんなことを思い出しているか?

水泳教室で知り合った桜井さんが、絵を教えているので、僕も参加してるんです。月2回の水彩画教室。

黒田征太郎さんのように、自由に描くのが絵だと思ってましたが、加藤公太さんのように基本も大事だと。

つまり、モノを見る訓練のための水彩画。いや、やってもやっても、描写できない。

「葉っぱの葉脈まで、ちゃっと描いてください」。

桜井さんに言われて、細心に描きこんだつもり。

「葉っぱが、後ろにめくれているでしょ? すると、葉脈も、めくれるように、最後が直線で終わるのでなく、気持ちカーブして終わる」。

そうかなぁ、見えないけどなぁ。

これ、ルーペを近づけて10倍ほど拡大して発見できる像でしょうか? すると、モノの構造は、すべてにおいて同じことが言える。

カタチがそうなら、色も、影も、背景も・・・・。となって、週2回でマスターできるはずない。そうだ、毎日やらないと。と、黒田征太郎さんが、毎日描いていることを思い出す。

毎日だよねぇ。

散歩中に、拾いました。鴨の剥製。上下左右から眺める。斜めからも見る。美術解剖学的に、美しい。

持ち歩いていると、出会う人は「何持ってるの?」という目をしていた。帰宅して、掃除機でゴミを吸い取ろうとしたら、肝心の羽まで抜けて慌てる。

これからは、自宅で鴨のスケッチをしよう。毎日は・・・・。