上高地漫歩記・その5は登山
ハッキシ言いますとね、上高地がこんなに「そうかぁ」なとことは予想してなかったんです。
ぶっちゃけ。
その1はサルとクマ、その2は画家、その3は泊まる、その4は梓川。と続いて、その5は登山。
軽井沢と同じ、上高地も外国人が「発見」した場所でした。宣教師ウォルター・ウェストンさん。
明治29年、「日本アルプスの登山と探検」という本を著く。日本には、趣味で山に登るなんて考えが無かった頃。「なんて、もの好きな」と、あきれていたでしょうね。
同じことが、トレッキングにも言えます。
登山が定着してからは、山とは苦行してピークを目指すもの。トレッキングを始めた人は、さんざ「そんなチャライのは、女こどものやることだ」と言われたことでしょう。
おしなべて、文化はマイルドへ、マイルドへ。
まぁ、確かに明神池から大正池までは、「上高地銀座」と呼ばれるくらいでスニーカーで歩けます。
この辺りを歩くのは、トレッキングとは言いません。ピクニック。でも、僕にはなじみがないから、ピクニックでトレッキング気分は味わえました。
明神池へ歩いて、気付きました。
たいがいの人は、左岸を歩いて池をめざし、Uターンして右岸を下ります。その反対コースで歩いたため、とにかく「こんにちは」の声がけが忙しかった。
いろんな人がいましたよ。
高齢者。口をへの字に曲げて、気色ばんで歩く。そんなに気合いを入れてると、嫁に嫌われるよ。
若者。大東文化大学の4人組は、今日来て今日帰る。体力が違います。夕方4時半の高速バスに乗るんだって。
ムーミンの国・フィンランドからやって来たカップル。なんと、3週間の休暇をとって。
ウェストンの山行の案内を務めたのが、本の中で「ミスター・カモンジ」と呼ばれた上條嘉門次。
明治13年に山小屋を建てる。26年に2人は初対面し、前穂高に向かう。深緑色のレリーフで微笑む嘉門次翁、好きです。ほんとに、いい貌。気分は、エア・サプライ。
明神池畔の嘉門次小屋は、千客万来。
イワナの塩焼き 900円。イワナの骨酒 2000円。見ただけ。徳利も売ってました。
小屋は1泊2食付きで7350円。※混雑時は男女の相部屋になることもあります。ですと。
あらためて、穂高連峰を見やる。
富士山3776m、奥穂高や前穂高も3000m級、槍ヶ岳も3000mクラス。高いんです。登れません。
どれだけシビアかというと、上高地登山相談所があるくらい。
・「登山届け提出箱」という白箱
・登山道情報
・各山小屋電話番号
・前穂・岳沢間の重太郎新道は、下山時の滑落事故多発。10月8日、70歳女性 下山中滑落ヘリ救助。そして10月7日には、61歳男性 涸沢カールで病死
・10月2日、10月16日と、ツキノワグマ目撃情報
ホッとしたのは、外来入浴案内図。
・小梨平キャンプ場、上高地インフォメーションセンター、上高地アルペンホテルなど計5カ所
前に、11月上旬で閉山すると書きました。ホテルは閉まります。ですが、登山はできるんです。
ただし、
・釜トンネル前のゲートは閉まる。そこから先は徒歩。スノーシューなどの装備が必要。知力・体力・地力・胆力・暖力が大いに必要。
午後から、一転にわかにかき曇り、雨となる。これだけでも充分ヒョエ〜となる、ダウンを着たヘナチョコだった。