ご先祖が書いた、ハマグリとタコ

久しぶりに読書しました。鈴木健一編「鳥獣虫魚の文学史」。

図書館の新着棚にあったもの。大きなタイトルが上記だったので手が伸びる。自宅でじっくり見たら、日本の古典の自然観シリーズ4巻目で、魚の巻。

1巻目は獣、2は鳥、3は虫。

魚の巻には「万葉集」から、ウナギ。「今昔物語」から、鮭。「平家物語」から、スズキ。「雨月物語」から、鯉などが収録されていた。

一冊とて、読んだものはありません。イメージとしては、花や獣鳥虫は出て来そう。古典文学だから。

魚介がこんなに登場するということは、食べるシーンがあるということなんだろうか? 生活感あふれる古典がある?

料理屋でいらなくなった貝殻を持ち帰るくらいだから、まず「御伽草子」のハマグリの章を読む。

南北朝から江戸時代初期にかけ、 約400年間に作られた短編の総称が「御伽草子」だったとは意外。そのうちの一つが、「蛤の草紙」。ただ、これも総称で諸本ある。


・天竺に「しじら」と名乗る、貧乏な40男あり。独身で、母と暮らす。海に出て、魚を釣って母を養う。

・この日は、まったくの不漁。南の海でハマグリがかかった。「いらない」と海に捨て、西の海に向かう。「もう」と、また捨て、今度は北へ。

・2度あることは、3度ある。また釣れたので縁を感じ、海に捨てずに舟の中に投げた。

・すると、不思議。ハマグリはみるみる大きくなる。中から金色の光が3筋、2つに開いた。出てきたのは、17・8歳の絶世の美女。

「どこにも行くあてがないので、妻にしてほしいです」

「母を養わないといけないから、結婚はできない」

「そんな、つれないことを」。

・とりあえず家に連れて帰ると、母は大喜び。結婚する。

女房は、観音様に仕える者で、その後、南の空に昇っていく。「しじら」は豊かになり、7000年後に成仏する。

・時に、紫雲たなびいて、音楽が響き、25の菩薩と33の童子が虚空に満ちた。

ハマグリといえば、女陰の比喩表現。小学校時代から、もっぱらでした。

ところが、それは江戸時代以降からの話。異国の親孝行譚が、仏教との関連で観音信仰と結びついていたのだ。

マムフォード&サンズを聴く。

御伽草子」には、ポピュラーじゃない話がたくさんあるんだね。アニメの原作の宝庫か?

次に読んだのは、タコの章。

東京湾でタコ釣りをやったほど、好き。冬でした。半日、船縁でやってたら腰が曲がり、陸に上がっても延びずに、そのまま病院。

1ヶ月ほど通院してました。

松尾芭蕉もタコは好きとみえて、「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」と詠んだ。

やっぱり、棹じゃなくてタコ壺ですよ、タコ釣りは。縄の先にくくりつけたタコ壺。夕方に海中に沈め、翌朝引き上げるのがタコ漁。

・明石夜泊。初夏の夜中、舟を水辺で泊める。月は中空にあって、あたりは蒼白い。

・この静かな海の底で、タコは明日の命も知らず。人が沈めたタコ壺の中で、はかない夢を結んでいる。

別天地で、ぐっすり眠って見る夢を芭蕉が身代わりになって詠んだので、タコも少しは報われた?

でも、ユーモラスな形と、やがて哀しきペーソスがあるでしょ? 昔から、擬人化されやすいタコだった。

子供の落書きは、タコのはっちゃん。こたつの内部は、タコ足状態。お坊主さんは、蔑んでタコ入道。

中には、大タコが夜になると水上に出、八足を踏んで飛ぶように田畑に入り、芋を掘って食べる。なんて話も詠まれる始末。

「大蛸や 月にうかれて 芋畠」  洞雨

タコなら、やりそうだよね。   

そういえば、京都に行った時、蛸薬師という地名を見つけた時もうれしかったなぁ。