2年かけて、「部活」週1体制整う


8月か9月に、目黒区で1回テニスやりました。

ソフトテニスってやつ。なんだろう? と思ったら軟式テニスのこと。今じゃ、軟球とは呼ばないらしい。やったことはないのに、なんだかバカにされてるようで、2回目以降欠席。

その内、我が世田谷区のテニス協会が、教室の生徒募集をやっていることを知ったので、10月23日からこちらに通ってます。

去年から、プール教室が終わった後に、隣にあるコートでテニス見てました。クールダウンしながら。

「年寄りもいっぱいやってるし、技も簡単そうだなぁ」と、1年間見て序々に気分が出て来ていたんです。

協会のクラス分けは、なかなかマニアックです。

現在、在籍してるのは「初心クラス」。ステップアップして、「初級」になる。「入門」と言うべきところを、あえて「初心、忘れるべからず」の意味合いを込めたのでしょうか?

その「初心」。僕のように、ラケットをまるで触ったことがないという人はいませんでした。どちらさんも、延べで3年や5年は経験ずみ。

えぇ、さてぇ。

2回出席して、空振りと、フレームに当たるのと、ガットに当たるのが、それぞれ3分の1という結果でした。こんなに難しいものだったの?

もっぱら、フォアハンドでこのていたらく。悔しい。3回目の11月6日は、雨。

出向きました。誰もいない。雨の時はやらないんです。少しずつ、テニス常識を覚え中。

いずれにしても、これで、年末までの「部活」スケジュールがほぼ決まりました。

体育会系のテニスは火曜、水泳は木曜。文化系の水彩画は隔週火曜、陶芸は土曜。

この体制に持っていくのに、2年かかりました。自分一人の活動では、挫折するのが目に見えているので、すべて教室です。

陶芸教室、2期目は先生を変える意味で土曜に移動。

陶芸ほど、人によってやり方が違う遊びもありません。アイデアは、どんどん増える。それをどのような作業でやるか? 先生を替えれば違うやり方を教えてくれるから、狙いは当たる。

そば・うどん生地のように、粘土を丸棒で伸ばす作業。たたら、と言います。ろくろで円筒形をつくる以外に、板状にして造形する方法です。

土の厚みを変えるためには、左右に置く長い板の厚みを替えればすむこと。

そして、土台の板で直接作業するやり方、雑巾を拡げて粘土を伸ばすやり方、ゴミ用のビニール袋を敷くやり方。いろいろある。

共通点は、裏表をひっくり返しながら拡張していくことだけ。

たった5ヶ月やっただけでも、話される内容にリアリティを感じました。

10月23日、東京工業大学で開催された益子焼きのシンポジウム。

東工大と、益子焼。なんの関係があるんでしょ?

国立の理工系大学も、昨年は創立130年。前は、東京高等工業学校。そこに、窯業(ようぎょう)科があったんです。

人間国宝浜田庄司河井寛次郎、島岡達三は、すべて卒業生でした。もっとも、初めて知る人ばかりですが。

明治期、殖産興業として窯業は発達したんですね。生糸以外にも、明治政府がチカラを入れていた産業があったのだ。外貨を稼ぐ、重要な商品。

校門入って、右手が会場の博物館。

1階に、益子焼の作家12名の作品が並ぶ。じっくり見る。「どうやって作ったのか?」に関心があるので、値札がついていても無視。

初心者は、カタチに目が行くんです。模様は、まだ後。色柄の美しさは、鑑賞してないことに気付く。も一つ、感じたのは、特長のなさ。

備前焼とか、有田焼には、統一された質感とか意匠があるでしょ? 益子焼には、共通するものがない。そして、オブジェ的なものは皆無で、すべて用をなす器であること。

すべて、「使われて、なんぼ」。それは、シンポジウムに参加した作家が全員強調してました。今まで、教室で作ったものを、花瓶だの皿で使ってますから、うなずく。

心持ち、おしんこも焼き魚もおいしく感じるから不思議です。

パネラーの一人、松崎健さんの発言。

「『焼き物』というくらいですから、つまりは『焼き』なんです」。作った内、窯を開いて「とれるのは、3分の1くらい」ですから、残り3分の2は叩き割る。

このシーン、僕の憧れ。眼光炯々として「違うのじゃ」と叫ぶ。

今は、完成がただただうれしいので大事に保存してます。

ところで、焼くのは薪。電気だのガスの窯は、論外なんだね。窯の中は、アブドゥーラ・イブラヒムみたいかな?