大田区から世田谷区へ、古墳巡り

人の移動は、基本鉄道でしょ? どこに住み、どこに出かけ、どこで乗り換えるか。沿線別ネットワーク。

物の移動なら、それに道路が加わる。

古代は、河川が沿線だった。だろう、と感じるのは川歩きをするようになったから。

前に、ウィリアム・スティール教授の講演「幕末から明治の諷刺画」を聞きに、国際基督教大学ICUにある湯浅八郎記念館を初訪問。場所は、中央線・武蔵境。

記念館に、「あぁ、やっぱり」と感じる物件が所蔵されてました。

キャンパスは、多摩川支流の野川の流域だったんです。

ここで発掘された旧石器時代の石器類や、縄文時代の土器・石器・装身具が展示されてました。

もちろん、この地域の人々が独自に作った物じゃない。下流の東から上流の西へ、人とノウハウが移動したのでしょう。

で、9日午後1時、東横線多摩川駅に立ちました。多摩川河口域。大田区田園調布。「ここも、デンエンチョーフなんだぁ」というくらいの、さいはて感。好きです。

やっと見つけたカフェで、コーヒーを飲む。

DIYで作ったようなカフェ「FISH & CHIPS」のウェイトレスがもらす。「神社の敷地なんです」。地元の工務店が設計した店舗から、東横線が走る踏切を眺める。

この辺りから、地下・高架じゃなくなるのかも。



世田谷区立郷土資料館主催「荏原台古墳と等々力渓谷を歩く」。

コースは、2つ。大田区側の多摩川台古墳群と、世田谷区側の野毛古墳群。約6km。

駅前から、いきなりグイグイ登り出す。最初の1号は亀甲山古墳。職員が解説をします。前方後円墳です。

「方形が、なぜ前なんですか? 円形が後ろの理由はなんでしょう?」と訊く。

「前円後方墳」でない理由、皆さんは気になりませんか?

「そう名付けただけです」と、ピシャリ言われる。ひぇ〜。

これは、僕の想像です。標高差を見ると、円形のほうが方形より高いので、有力者の墳墓を仰ぎ見る感覚から、方形を手前に位置づけたのでは?

2号から8号までは、方形の無い円墳が並ぶ。だいたい6〜7世紀のもの。

多摩川台古墳群の最後は宝来山古墳で、これは4世紀の前方後円墳。とはいえ、宅地造成で後円部はほとんど削り取られて無い。

無い、と言われなければ気付きません。雑木林の小山を歩いている感覚ですから。それに、墳墓ギリギリに住宅がせまってますから、見張る霞の雰囲気でもない。

時間内に散歩を終えるためなのか、移動はけっこう速足です。アップダウンもあります。音は、チーフタンズ

知り合った住川さん、77歳。とうとう途中でダウン。「明日は、世田谷山の会で出掛けるんだけど、行けるかなぁ?」と、ちょっと不安げ。

続いて、世田谷区側の野毛古墳群に突入。

住所でいえば、大田区田園調布5丁目から世田谷区尾山台・等々力に移動。

ということは、大井町線に沿って東から西へということ。住宅がなければ、里山だったのだろうと想像する。渡る道路の坂から、横浜のランドマークタワーが見えました。

古代人は、のろしをあげて連絡しあったか?

5世紀の狐塚古墳・御岳山古墳。8世紀の等々力渓谷横穴群。また5世紀の野毛大塚古墳を歩く。

大化の改新」に、話が飛びます。

中大兄皇子(後の天智天皇)らが、蘇我入鹿を暗殺したクーデター。改新したのは統治体制だけではなくて、建築基準法も改めた。

「これから、大構造物を作ってはならぬ」と。すると、巨大墳墓は作れない。そこで、地方豪族は考えた。「もともとある山に横穴を掘れば、それが巨大墳墓になるじゃないか」と。

座布団一枚、というくらいの逆転の発想で作られた、等々力渓谷横穴群の墓。

両耳に、1キロダンベル状のヘアスタイルをした古代人が、先祖を祀る絵あり。なければ、ただの穴。

「子供の頃、この辺りで粘土をとった記憶がある」と、参加者のおばさん。関東ローム層の地質は、物が無かった時代に教材になっていたんだね。

フィナーレは、野毛大塚古墳。並ぶ円筒埴輪の間を、子供たちが忙しくフリスビーで遊んでました。

今度は、ゆっくり一人で歩こう。