文化支援する社長が好き、と語る社員

銀座は、何回行っても道路の名前を覚えられません。

ごちゃごちゃ説明しても、よけいにわからなくなる。興味のある方は、中央区銀座7−7−2DNP銀座ビルで調べてください。大日本印刷のビルです。

ギンザ・グラフィック・ギャラリー。11月27日まで、「横尾忠則 初のブックデザイン」やってます。

彼の手にかかると、どんな本も絢爛になる。それも、南北朝時代のバサラの味。奇に傾く。気持ちをザワザワさせる。

官能、背徳、前近代、土着。

いったい、彼は今までにどれほど装幀してきたでしょう? 
会場スペースの関係で、代表作しか展示されてません。でも、西陣織がつまったタンスに入ったような気分になる。息苦しいくらい濃密。

7日に彼のギャラリートークがあったことを知る。タッチの差、ウ〜ン残念。

印刷入稿する原稿も展示されてました。すべて手で色指定していた時代のもの。

印刷の始まりは、版画。デジタル全盛の現代は、製版もコンピュータでやります。以前は、印刷といっても版画的作業をやった。手のぬくもりがある、入稿原稿。

僕の持ってる本もある。

草森紳一兄さんの「江戸のデザイン」。これは持ってない。この装幀では、持ってない。まずいよ。これから図書館で1972年発行の版を借りて読みなおそう。

あちこちフラフラしてれば、こんな思いがけない拾い物もする。音なら、リー・リトナー

DNP銀座ビルには、別の用事で訪ねたんです。

西野嘉章さんの話。東京大学総合研究博物館の館長。名前を知ったのは、10ほど前。

東大は、本郷と小石川に博物館があります。小石川は常設展で、学術標本を展示してます。そのスタートは「驚異の部屋」。

最古の大学だけに、大学人が集めた自然科学系の実験道具・教材・標本はうなるほどある。うなるほどあっても、最先端を研究する日々の人ばかりだから、ほったらかしになる。

誰も、見向きもしない。

ゆゆしき事態、と嘉章さんはキャンパスを巡り、実験道具・教材・標本を集めた。ついでに、100年前・50年前のキャビネット・机・イス・銅像までも。

で開催したのが、「驚異の部屋」展。鹿の剥製や、アルコール漬け標本や、流体力学を実験した船体模型。

「こういう物に囲まれて死にたい」と、理想の死場所を発見。キュレーションしたのは、アメリカ人のマーク・ダイオン。彼を招聘したのが、嘉章さん。

「小石川には、小金井良精先生の像が3体あります」。

明治時代、医学部で解剖学を教えていた先生。どれも、頭蓋骨を指さしている像。僕も見ました。



「最初の銅像は、普通の頭蓋骨で作られました」。

小金井良精先生はアイヌの研究家。ならば、「アイヌの頭蓋骨で、作り直さなければ」と2体目の銅像が製作された。

そして、大東亜戦争突入。

兵器製造のため、金属という金属が強制的に集められた時代。危機を察知して、東大は急遽セメント製の3体目を製作。

「ここで、本日の講演の主題である、『真贋(しんがん)のはざま』という話に入っていきます」。

「3体の像の内、オリジナルはどれなんでしょう?」という問いかけ。オリジナルが重要で、コピーやリプロダクションは意味ない、という価値観への再考。

講演は、名だたる泰西名画が木版画・石版画・銅版画になっている歴史の話。

ナポレオンは、権勢を知らしめるために。教会は、布教のために。画家は、荒廃した郷土を伝えるために。画商は、仕事のために。

「オリジナル、とはいっても描かれたままではありません。モナリザも、8割は後代に補筆されてます」。だってよ。いやぁ〜、まいったなぁ。

ルーブル美術館の銅版画カルコグラフィー室が原版を所蔵し、今も職人が刷っているのを初めて知る。

「隣のビルにありますから、ご案内しましよう」。

細密な銅版画が並ぶ。歴史画から、パリ市街図まで。刷り工程の動画も見る。原画の彫り師はできそうもないけど、刷り師はやりたいよね。

隣のビルとは、メゾン・デ・ミュゼ・ド・フランス略してMMF。先ほどから案内してくれてるのは、大日本印刷の女史。とても利発そうな人。「浮世絵も好きなんです」。

名刺を見たら法務部。このMMFも、彼女がフランス当局と交渉し契約して開設した。ミュージアムグッズを、フランスに行かなくても買える場所が、東京にあったのだ。

立寄り先が、また増えた。