ドンキ・ホーテじゃなく、ドン・キホーテ
11月9日に、カルコグラフィのことを書きました。
それから、気になってました。銅板画のこと。仏ルーブル美術館には、カルコグラフィ室がある。ブルボン王朝は、権勢を万民に知らしめるために、盛んに銅板画を製作しプリントした。
そのコレクションを引き継いだのがルーブル。現在、所蔵原版は13000枚。
銅板画って、エッチングって言わなかった?
カルコグラフィとは、ギリシャ語で「銅板に書かれたもの」の意。一方の、エッチング。銅板の表面を針で削り、その後腐食させることで凹版を得る技法。
カルコ > エッチ。つまり、銅板を使用するなら凸版でも凹版でも平版でも、すべてカルコグラフィというのだろうか。
いずれにしても、銀座メゾン・デ・ミュゼ・ド・フランス略してMMFで見たカルコグラフィは、とにかく線が細密でした。
かすれたような消え入らんとする線も、忠実に再現されている。これを印刷で複製するのは、そうとうに困難と思われる。つまり、彫り師の腕が高い。
これは、版が銅という金属だからできることだろう。
じゃぁ、目が粗い木版ではどうか?
やっちゃう人がいたんですねぇ。ギュスターブ・ドレの版画。ドレの原画を、忠実に彫ったピサンという彫り師。
「ドレの『ドン・キホーテ』」宝島社刊。
日本人にとって、木版画といえば浮世絵。複雑さ、ということでピサンのような版を彫った人はいません。
ドレは、生涯1万点以上の挿絵を描いたといわれてます。19世紀の人ですから、銅版・石版・木版で作品を発表した。すべて、相方の彫り師がいての話。
宝島社のドレのシリーズには、「新約聖書」「旧約聖書」「ダンテの『神曲』」「ミルトンの『失楽園』」「ペローの『昔話』」などが出てました。
ドレもすごいが、彫り師もすごい。見てると、血管がぶち切れそうな緻密さ。もちろん、刷り師の腕前もハイレベル。
見とれたついでに、第1章「かの有名な郷士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの人柄と日常について」を読んでみる。
スペインが生んだベストセラー。著者は、ご存知セルバンテス。ドン・キホーテがスペイン諸国を遍歴し、出会った風車に向かって槍で突撃する場面は有名。
有名な場面しか知りません。そもそも、どうして遍歴するようになったか?
・ラ・マンチャ地方に、やせて頬もこけた郷士が住んでいた。家の壁には槍が架かり、古びた鞍も飾ってある。
・わずかな収入の4分の3が食費で消える家。それでも、馬の世話から庭木の手入れまで、なんでもする下男が一人いた。
郷士の趣味は、というより、明けても暮れても騎士物語に読みふける。しまいにゃ、領地を切り売りしてまで騎士物語の本を買い集める。
・勇猛果敢な騎士たち、不死身、無数の刀傷、決闘、悪者退治、戦利品、巨人族、魔術、忠誠。
ウンチクもだいぶ溜まり、村の司祭と床屋をつかまえて「誰が一番の騎士か?」議論を闘わせる。
事態は、さらに嵩じる。
・祖国のため、自身の名誉のため、今こそ自ら遍歴の騎士となって危険を顧みずに不正を正すべきだ。
騎士物語に燦然と輝く我が名にウットリしたら、いてもたってもいられない。
必要なのは、自らの愛と勇気を捧げる貴婦人の存在。遍歴の騎士には、勝利を告げる「想い姫」がいないと話にならない。
・「そうだ。隣村にいる、あのまぁまぁかわいい百姓娘をドゥルシネア・デル・トボーソ姫と名付けよう」。
馬にはロシナンテと名付け、下男サンチョ・パンサを伴って、準備万端。かくして郷士は騎士となって遍歴の旅に出るのだった。
ドン・キホーテは、バレエにもありました。熊川哲也兄さん、10月末の公演は大入りだったでしょうか?