森の里2012最終案内 その25日
東京から長野へ行くには、たいがい新幹線を使うでしょう。
軽井沢の次の駅が、佐久平。小海線と交差してます。よろしかったら、乗り換えてください。1つ目が、岩村田駅。
25日は、岩村田を散歩してました。
地図を見ると「旧佐久甲州街道」とある。甲州街道は、江戸から甲府までじゃなかったの? 甲府から先、長野県佐久まで延びていたのか。
「旧中山道」もある。
旅の浮世絵は、北斎や広重が有名です。
渓斎英泉も描いていたんですねぇ。英泉画「岩村田」。八ヶ岳を遠景に、地元民なのか旅人なのか、とにかく6人ばかりの男衆が喧嘩をしてる絵。
くんずほぐれつ、持ってる道具をとっちらかして、どなりあい殴りあってる絵。犬も、はやすように吠えてる。こんな街道バイオレンス浮世絵、見たことないよ。
両街道の分かれ道に立っているのが、5〜6体の「野道分去れ道祖神」。それぞれに縄をしめている。雪だるまがマフラーをしている様子に似る。
先を急がぬ、旅人気分。
町の中央に、西念寺ありました。
ん? 西念?
もう、ここは古今亭志ん生師匠の落語「黄金餅」しかないでしょう。
・世の中には、しみったれな人もいるもんで。
・両目でものを見るのは、もったいない。片方の目で、充分見られる。ってんで、一つ目をつぶって10年ばかり暮らした。
・くたびれたもんで、そろそろ、もう片っぽうの目で見たら、知ってる人は誰もいなかった。
師匠のマクラは、結構シュールです。
・江戸は下谷の山崎町に、西念という坊主が裏長屋に住んでいた。
・コツコツ小金を貯める、なうてのしみったれ。風邪をひいて唸っていたので、隣の金兵衛が様子を見に。
・「あんころ餅が欲しい」というから、買ってお見舞い。「一人で食べたい」というから、金兵衛は家にもどって壁の穴から西念をのぞく。
あろうことか、西念はあんこをどけて、一分銀二分銀を餅で包み、どんどん呑み込みはじめた。
く、く、くるしぃ。そのまま、昇天。
西念寺の本堂に、永楽通宝のマークを見つけた時は、うれしかった。「おあしがすべての衆生」だし。
水桶が大釜だった時は、もっとうれしかったよ。
・こうなりゃ、西念の腹に収まったお金をすべて我がものに
と、金兵衛は黒い欲望を原動力に、積極的に長屋に声を掛けて弔いをして、早速、桶をかついで焼き場に持っていく。
行き先は、麻布絶口(ぜっこう)釜無村の木蓮寺。
・下谷山崎町 → 上野の山下 → 三枚橋 → 広小路 → お成街道 → 五軒町 → 神田須田町 → 鍛冶町 → 今川橋 → 本白銀町 → 石(こく)町 → 本町 → 室町 → 日本橋 → 中橋 → 南伝馬町 → 京橋 → 新橋 → 土橋 → 愛宕下 → 神谷町 → 飯倉六丁目 → 飯倉片町 → 永坂 → 十番 → 大黒坂を上がって、麻布絶口釜無村の木蓮寺へ来た時は、ずいぶん皆んなくたびれた。
妄執の西念、欲に目がくらむ金兵衛、好きだなぁ。
浄土宗・西念寺の山門にあった言葉を読む。
・南無 おまかせします
・阿弥陀 どこでも、いつまでも
・佛 耳をそばだててくださってます
そういう意味だったのかぁ。続けて、11月の言葉も。
・衆生、仏をとなうれば、これを聞きたもう
Whenever we recite the name of Amida Buddha, he is sure to hear us.
さ、皆さんご一緒に、南無阿弥陀仏。コパチンスカヤ、どうでしょう。