森の里2012最終案内 その25日の2

岩村田の続き話。

高速バスのバス停がありました。僕もちょくちょく新宿を起点に乗ってます。岩村田のバスは、池袋間を往復しているんだね。

ということは、東京のターミナル駅はだいたい高速バスが発着するってこと?

野沢菜を漬けてるおばあさんに会う。

「こっちの樽が、娘夫婦用。そっちの樽とあっちの樽は自分の家用」。見ると、たいして重そうな石を乗せてない。

「もう、齢だから重いのは無理」と言うから、庭にある適当な石を乗せてあげる。キムチと違って、野沢菜は塩だけで漬けるだね。

布団屋の前を通る。

張り紙「秋風が吹いてきました。ねこ、始めました。¥3000」。布団業界のかた、ねこって何ですか? 湯たんぽがわりに、猫を3000円で貸すのでしょうか?

郊外に向かって歩いてます。

かつて、岩村田は江戸から数えて22番目の宿場町。宿場町なら、当然色里がある。現在と一緒で、悪所は街道の真ん中に堂々とは無い。

町の隅っこ。

あったのは、郊外を流れる湯川と花園団地。よすがを偲ぶ形跡は絶無。花園という言葉だけが、唯一、江戸ギャルの脂粉と嬌声のなごりでした。

川沿いに歩いて、ヒカリゴケを見に行く。

しょぼいもんだろうね、と思っていたらギンギンに光ってました。

・明治43年、中学生が通学途中で寄り道をした。洞穴の中に光る土を見つけたので、先生に見せた。

・先生も不思議がり、東大の三好学博士に送ったら「日本にもヒカリゴケがあったのじゃ」と鑑定。

学生時代に、北海道でも見たことがあります。

・ダルマ形の細胞が一列につながり、その細胞内に入った光が、細胞の底で反射する。

葉緑体を照らすので、美しい黄金色に光って見える。

ダルマ形の細胞というあたりが、ポイントなんだろうか? ブライアン・イーノの音と合いそう。 

岩村田駅で読んだ名所、鼻顔神社に向かう。花園団地のとなり。

はなかお、かなぁ? 読めます、これ?

よりによって、はなづら神社ですよ。京都・伏見稲荷から勧請されたという神社。湯川の断崖に建っているので、清水寺のように櫓を組んでそそり立っている。

参道に並ぶ鳥居だけでなく、社の全体が朱色。

遊郭には、たいがい遊妓たちになじみの寺社があった。ここも、かつては客との待ち合わせ場所であり、喧嘩の場所であり、別れの場所であったんだろう。

目に入る朱色には、逆巻く情念が塗り込まれている。

金回りのいい大店の旦那衆、太っ腹な見栄を張った奉納額が天井に下がる。

町にもどって、龍雲寺。

・昭和6年5月29日、境内で武田信玄の遺骨を発見し、今も霊廟に安置されている寺

と説明がありました。どうして、遺骨とわかったのでしょう? 骨に名前が書いてあるわけじゃないのに。不思議だ。

厚く帰依した、というあたりは信じられる。山門や本堂に武田家の菱形家紋がついていたので。

梵字が彫られた石塔も見る。試しに、意味を調べたら該当文字は見つかりませんでした。これ、何の意味かなぁ。