森まゆみさんと歩けば、トリビアだ

「毎日、飽きもせず書いてるねぇ」という声が聞こえてきそうです、このブログ。

はい、惰性・なりゆき・ついでですから。

古今亭志ん生師匠の十八番「火炎太鼓」のまくらにもありました。金儲けがヘタな骨董屋の亭主に、かみさんが「だから、お前さんはアンニャ・モンニャだっていうんだよ」。

まだ、アンニャ・モンニャ度が不足してます。ちったぁ、計画や予約はしますから。でも、その時の気分次第も健在。

4日、女旅ガラス「迷子だっち」と井の頭自然文化園の温室で待ち合わせしてました。でも、朝から雨。早朝テニス教室も中止になったので、とたんに気分がなえる。

彼女に連絡してから、テニスウェアのまま布団にもぐる。

予定を狂わせちゃってすまなかったねぇ、「迷子だっち」。申し訳ない。これからは予定なぞせずに、その時電話して、その時都合で会いましょう。

3日の日付なのに、4日のこと書いてます。お気づきでしょうね、このブログが日記になってないことは。

毎日、その日やったことを書いてるわけじゃない。毎日出掛けてません。1日にやったことを、分割して書いてるだけ。

前回、文京ふるさと歴史館から森鴎外記念館までのこと書きました。

実は、歴史館で区の地図「おさんぽくん」をもらったので歩けたんです。「千駄木漱石森まゆみ著を読んで、ぜひ「猫」を著いた旧居跡を見たかったので。

本を読んでいて、いまひとつ、ハッキリしなかった「猫の家」。地図は明解でした。

東大・本郷キャンパスの前は本郷通り(国道17号)があります。一旦、言問通りで分断されますが、キャンパスは北にも続きます。農学部や東大球場があるエリア。

ここまでは、散歩するから先刻承知。ここからが、未知ゾーン。

地下鉄・南北線東大前駅が見えてきたら、右折。そして、道なりに左折。右側はキャンパスが続く。サッカーの練習してました。

そして、左側に「出世不動明王」と書かれた赤い旗が並ぶ。祈念する者は皆出世する、ありがたい不動明王。東大の隣に洒落としては、可笑しい。

と思ったら、門柱に「東京大学禅会道場」とあって洒落にならなかった。

本で知ったのですが、農学部キャンパスは、旧第一高等學校があった場所。

そうです、もっとも知られた寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の学校。

イギリス留学から帰国した夏目漱石は、一高と東大で英語を教えに、ここを歩いて通勤していたんです。

「この道は、『青年』の散歩道の皆様が清掃を行っております」と出ている。自転車で通りがかった、お巡りさんに訊く。

「じゃぁ、正式な道の名前は?」

「さぁ?」。

とにかく、北に真っすぐ歩けば日本医科大学があり、大学の同窓会館「橘桜会館」の角に、石碑が立ってました。

題字の筆は、川端康成。旧居は、明治村に移築してここには無い。いやいや英語の先生をやりながら、迷い込んで来た猫の目で身辺雑記したら、これが大評判になる。

もし、斎藤孝センセのように「教育いのち」だったら、「猫」は著かれなかった。意に沿わぬ仕事をしてても、希望はあるもんだ。

ところで、「玉杯」の歌詞ですが。

・栄華の巷 低く見て

森まゆみ姉さんの説明で、わかりました。一高が建っていたのは、本郷台地。東方向の台東区は低地。僕が育った根岸です。でも、栄華じゃなかったよ。

根岸の里の侘び住まい、と言われたくらいで。