昭一つぁん、勘九郎ちゃん、さようなら

2012年も終わりになって、訃報でした。

小沢昭一つぁん。

彼の映画「痴人の愛」で、我が意を得たりと感じた学生時代。振り返れば、そのころから「下降志向」を意識したんですね。

堕ちるとこまで、おちることが大事。

大谷崎が描くダメ男を演じて、こりゃ本人だろうと。その後、大道芸や放浪芸を追いかけて、決して大文字の芸をやらなかったおじさん。

一人芝居「唐来参和(とうらいさんな)」は、2000年以来、上演してません。やらないので、舞台の音をテープで聴く。

また、図書館に借りにいこう。DVDがあればいいのに。

ご本人を見たのは、講演会でした。1時間半、3つほどのネタを繰り返す。同じ内容。不思議だったのは、繰り返すたびに可笑しさが増すということ。

人柄が雰囲気を醸し、雰囲気から言葉が流れる。お風呂に入ってる気分。尊顔を拝しただけで、大満足。

一方の、中村勘三郎丈。

僕のなかでは、永遠の勘九郎です。先代勘三郎ともどもテレビによく出演していて、理想的な父子の印象あり。

子煩悩だけど、放任する先代。そっくりそれが、自分の子育て方針にもなる。

放任するには、器量がないとできません。

とにかく、もてました。男にも女にも。彼の可愛げに触れると、誰もが一はだ脱ぎたくなる。彼の懐に飛び込んで、一緒に遊びたくなる。

シネマ歌舞伎「野田版 研辰の討たれ」を見た時、子供のころにやった竹馬とか缶蹴りを思い出す。

稚気があって、色気があって、相談事ができそうな兄さん。誰もが「あの勘三郎が、自分を受け入れてくれた」と、垣根のなさに感動する。

最近も、シネマ歌舞伎で「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)」やってましたね?

肝心の舞台、見てません。見たかったねぇ。一回でも見たことがあれば、喪失感がまったく違うものになったでしょう。