いっそ、青山一丁目シネマといいたい
赤坂図書館であった映画会。今回は、ルイ・マル監督の「鬼火」。
「死刑台のエレベーター」でデビューしたのが25歳。マイルス・ディビスのトランペットが流れる夜のパリに、目を泳がせるするジャンヌ・モロー。
「これで、25歳?」と、驚きました。ほんとは嫉妬したかったです。年齢を比肩して、ダンチの才能とセンス。
「地下鉄のザジ」。これにも驚きました。こういう映画の撮りかたがあるのか、と。ザジは、少年のようなオシャレ少女、というジャンルの元祖じゃないでしょうか?
クストー監督の深海映画「沈黙の世界」は、小学生の時に見ました。共同監督をやっていたのが、ルイ・マルと後年知る。
「鬼火」は、行き場のない精神の彷徨を描いた映画でした。時に31歳。
アルコール中毒の主人公アランが入院している、ベルサイユの療養所にガツンとやられました。
イタリアのヴィスコンティ監督は、裕福な家庭の御曹司で知られてますね? 「ルイ・マルもお坊ちゃまだろうね」と、すぐ気付く。
人間は、自分の生活レベルに合わせた視界しか持てない。だから、シーンをどのような場所で撮影するかで、その人の育ちや財力がわかっちゃう。
療養所は、まるでシャトー。アンティーク家具にかこまれて、病室と思えない病室。そこで、「明日、僕は自殺する」とルガーを取り出す。
アルコール中毒といい状、これは、監督が青春と決別するために撮らなければならなかった映画なんでしょう。
「人生が緩慢すぎる」「祭りは終わった」「平凡が嫌い」なので。
ベルサイユから、ヒッチハイクでパリに向かうアラン。
「死を手伝ってほしかったので」数々の旧友と、ひとときを過ごす。
流れるのはエリック・サティばかり。おわかりですね? 断絶は、ますます鮮明になる。面と向かっては「久しぶり」と笑顔を見せる友人も、彼がいなくなると「死人みたいな顔だ」と陰口をもらす。
夜が訪れ雨が降り出す。動悸と悪寒でトイレに駆け込む。
なんですが、友人たちの家がどれもこれも豪壮なんだ。ブルジョワジーの甘い生活が「俗物」であることを、言いたいんでしょうが、育ちがいい監督だから告発になってない。
それに、こぞって、センスのいい女ばかり出てくる。まいったね。絶望を彩る美女。
カンデンスキーの絵の個展をやっているギャラリーに向かうアラン。画廊主は、ジャンヌ・モロー。唯一、彼女だけがアランの琴線に触れることができた。
全編サティだから、最後もサティね。
「残り物名画座」、今年も楽しんでください。