思わぬキッカケで、司馬遷を聞く

例年、落語で秋から冬の季節を感じてます。

10年間くらい、落語のCDを借りるためにほぼ都内の図書館に通いつめ、複写して聞き、春になると飽きる。さすがに、借りることは今ではやってません。聞くだけ。

図書館の落語棚の隣には、その他のCDも並んでます。厳密には、楽曲の棚がほとんどで、「落語その他」はオマケというほうが正解。

「その他」のなかには、朗読のCDもあります。

ついでに借りて、こちらもせっせと複写。でも、どうしても聞かなかったCDがありました。

中島敦 「山月記」「弟子(ていし)」「李陵(りりょう)」。

いや、どれも5分ばかり聞いたんです。でも、ついていけない。

日本語は表意文字ですから、目で意味がわかることがいっぱいあります。正しい読み方がわからない、ということはありますが。

※ありすぎ!

一方、声で聞く日本語は意味不明ながら、なんとなくわかる利点がある。

ところが、中島敦のものは古代中国の人名、地名が出てくるからわからない。形容がわからない。第一、中島敦って誰? でしたから。

21日の新聞で、彼の小説「李陵」のことが出てました。草稿に不備が指摘されていたが、この度、やっと自然な表記の「定本」が刊行された、と。

ちょっと気になったから調べる。

おじいさんも、お父さんも漢学の人。たぶん、家の本棚は漢文の本だらけで育つ。どうりで、声で形容される表現が、「どんな漢字をあてるのか?」わからないはずだ。

彼なら、おもちゃのように漢字を縦横無尽に使い分けられる。

もともと「李陵」は、彼の没後に発表されたもの。

今回、定本では「李陵・司馬遷」と改められた。史記を著いた司馬遷? 福田 定一さんが、我がペンネームを司馬遼太郎にするほど心を寄せた、司馬遷

ここで、にわかにCD「李陵」を聞きたくなる。聞きました。

最初は、やはり意味がわからないので我慢して流す。そのうち、荒涼とした物語が立ちのぼる。

漢の武帝の時代。歩兵5000の軍勢で、北方の匈奴掃討に向かった李陵。騎馬民族相手に奮闘するも、あろうことか討ち死にせずに、敵の捕虜になってしまった。

武帝のとりまきは、皇帝の意を汲むように李陵の人物査定をあしざまにする。

異議あり」と声を挙げたのが司馬遷

暦編纂で実績を残し、史記で着実な評価を得ていた官僚の司馬遷。お役人が、大勢につかないことがどれだけリスクになるか?

たぶん、史記で歴史と人間を観る目を養ってしまったが故の悲劇が待っていた。

宮刑。男が男でなくなる去勢の刑罰。患部から悪臭を放つので腐刑とも呼ばれる。

司馬遷には、大学者・文人のイメージがあったから、これには驚きました。硬骨漢だったんですね。

そして、

それから後の日々の長さ。プーランク