一足も二足も先に大人になっていた富岡君

・今、 運動は月2回のゴルフ。手先の運動がてら麻雀をしてアルバイトをしています。(笑)

中学校の同級生、富岡君から近況連絡あり。

現在も顧問をやっているから、彼の人脈が会社の財産になっているんだね。

通学路の途中に彼の家があったので、毎朝、門前で名前を呼び、帰りも一緒だった。

・あの頃の、肩から下げる通学鞄は懐かしいですよ。

今じゃ見られなくなった、布製のカバン。小学生のランドセルから、とても大人になった気分。

・1月24日のブログ見ました。そんなこともありましたかね。よく覚えていませんが。もっと青春の清らかな思い出はなかったのですか。

いっぱい、ありすぎ。カストリ雑誌や「恋のメキシカンロック」がダメなら、「いつでも夢を」どうでしょう。

この曲も、富岡君の家のステレオで飽きるほど聴きました。

・あとは、何て言っても 三波春夫さんです。

意外だなぁ。彼は、お坊ちゃんで、新しい物をなんでも持ってて、僕は付いてくだけで精一杯だったので。

そして、高校・大学は別の道。徒歩でなく、電車通学がとても大人になった気分。

進学しても、まだ一緒に遊んでました。

・当時は、ケネディ大統領と東京オリンピックに夢中でしたね。

そうです。どちらも高校時代に熱中してました。

大統領が暗殺されたのは、1963年。日米間テレビ同時中継の試験放送が、テキサス州ダラスからの悲報。それからケネディ本を次から次に10年間ほど買い続け、きりがないからやめる。

・仕事でダラスへ3度行きましたが その度に事件現場に足を運びましたよ。今は観光地になりましたが。

そうなんだぁ。僕は、行ったことがないです。

60年代の最後の大学時代、彼は学生運動に邁進した。それまで、いうなれば家族のように感じていたから、社会に目覚めて活動することが、とても遠くに行ってしまったように思えた。

・大学を卒業して仕事の40年間は 好きに楽しく過ごせました。ただ多くの社員との人間関係で、一番 神経を磨り減らしたことも事実です。

これも、意外。僕には営業のセンスが絶無だが、彼は天性と思えていたからね。相手の胸襟を開かせる才能が、うらやましかった。

新聞にジャニス・ジョプリンのことが載ってました。1970年、27歳で早世してた。

ヒッピームーブメント、フラワーチルドレンのシャーマン(霊能者)と呼ばれたジャニス。抑圧された感情を解き放つエネルギーのアイコン。生まれはテキサス州だった。

学生運動をやっていた富岡君には、仲間だったでしょう。そんなことも知らないで、何が何だかわからずぼんやりしてた我が学生時代だった。