100年間って、けっこう身近だね
NHK「日本人は何を考えてきたのか」見ました?
1月27日の放送「女性解放」が最終回とありました。前の「西田幾多郎」と2回だけ見ました。前10回ぶんは、テレビがガチャガチャだったので、見られなかった。
再々放送やらないかなぁ。
ほんと、何を考えてきたのか? 知りたくなってきました。
西田幾多郎は「善の研究」で知られた人。例によって、それだけ。どんな本なの? どんな人なの? そもそもいつの時代の人?
明治3年生まれの哲学者。
実家が破産し、身内が死に、「驚きよりも、哀しさを受容することから」哲学の道に入る。このナレーションを聞いて、「あぁ、やっぱり僕は哲学者になれない」と身にしみる。
学生時代に、同じような境遇になった友だちがいました。彼の実家によく遊びに行き、親父さんとも親しかった。彼が大学を中退した時「がんばれよな」と声をかける。ほどなくして、親父さんも亡くなる。
西田の場合は、子供時代の喪失。
哀しさを受容するって、こういうことだよね。そういう経験が僕にはない。だから、驚きを楽しむ人生を歩めたのかと今にして思う。
哀しみは、禅に向かう。墨で円を描き、円想図なる無限を着想する。真ん中は空(くう)であると共に、すべてを含んでいるという思想。
「善の研究」を明治44年に発表。直後に大正となり、2年に京大教授になる。6年には「自覚に於ける直観と反省」を著き、切実に自我の意識と経験を考える。
京都にある「哲学の道」は、西田幾多郎が散歩した道なのか? ドーナル・ラニー。
知らなかった、日本の底流。
「女性解放」の平塚らいてう、上に同じ。田中優子、上野千鶴子両女史が解説に登場。
明治19年生まれ。本名、明子。高等女学校時代には、修身の授業をさぼる「海賊組」を組織する。好きだなぁ、このあたり。
なぜか、彼女も禅の道場に通ってました。
明治44年から大正5年まで発行された、「青鞜(せいとう)」で活躍。
戦前「女はひっこんでろ」と民法にも規定された人類差別の時代に、らいてうさんは闘ったんだね。
差別される側からみると、日本に世界に人種差別は消えないのと同じ。戦後、日本の婦人参政権が認められる前史の人でした。これも、日本の底流。
「日本人は何を考えてきたのか」。顔向けできない人は多いね。
さて、我が親父殿は何を考えていたのか?
大正2年2月22日生まれ。14年前に亡くなる。その時、墓前に置いたスヌーピー。あれから14年風雨にさらされ、だいぶワヤになってくる。
生きてりゃ今年で100歳。彫刻刀で1913〜2013と彫って、新しいスヌーピーに置き換える。
今年は、100年前はどんな時代だったかを読もうと思う。