少年も、大人と同じ空気を吸っている

馬事公苑のイベントで、馬が騎手を振り落とし馬場を3〜4周するシーンを思い出してました。

係員が制止させようとすれども、馬停まらず。「走りたいだけ走らせればいいのに」と、ここは馬に味方する。

今年も行ってきました、銀座エルメスでやってる無料映画会。去年は「時の恵み」がテーマ。今年は「スポーツは素敵!」。

もともとエルメスは馬具商からスタートしただけに、1月は騎手養成学校で寄宿生活をする少年たちの映画「ジョッキーを夢見る子供たち」。

目標は、凱旋門賞レースで騎手になること。

サッカーならW杯、野球ならワールドシリーズ、テニスならウィンブルドンに出場する夢と同じなんでしょう。

登場する少年たちは、小学校高学年か中学生くらい。

「こんなのいやだ、もうやめたい、お腹が痛い、心臓がバクバクだ」とベソをかく訓練が、毎朝5時起床から始まる。

地平線が見えるようなパリ郊外の敷地で、トロット速歩・キャンター駆歩・ギャロップ襲歩を練習するけど、かじりついているのが精一杯。

「馬に話しかけるんだ」「気持ちよく走らせろ」「やり遂げると、自分に言いきかせろ」と教官の声が飛ぶ。

いたいけな少年と厳格な父に見える。

いつも口が半開きで、覚えが悪くて、メガネをかけたスティーブ少年は、他人に思えなかったよ。

「出会う人を、敬え」。教官ばかりでなく、競馬場に行けば周りはすべて大人の他人。この年齢で、見栄と欲望渦巻く世間にほうり込まれる。

でも、親は無くとも子は育つ。生命力のすごさ。救われました。ジュリア・フォーダム

というのも、数日前にDVD「ドイツ零年」を見ていたからなんです。

こちらは、完全に救われない映画。

イタリアのリアリズム映画も「鉄道員」や「自転車泥棒」なら、まだ抒情がありました。この映画はドキュメンタリーのタッチで、敗戦国ドイツの惨状を描く。

ロベルト・ロッセリー二監督には「無防備都市」があります。終戦直前、同盟してたナチの侵攻に抵抗したイタリアを描く。

連合軍の爆撃を受けたベルリン。日本の場合は、基本木造家屋なので、焼夷弾でフラットな焼け野原。ベルリンの場合は、ぼた山のような瓦礫の列です。

衣食住、すべて無し。電気も石けんもマニキュアも無し。教師は、全員追放。

とあるアパートに5家族が暮らす。お互いやりくりもするが、憎み合いもする。栄養失調で心臓を患う父を持つエドムント少年。家族の先頭にたって小働きするも、万策尽きる。

「明日、お父さんが退院するんです。食べさせるものがありません。先生、どうすればいいですか?」と少年は訊く。

「弱いものは、犠牲にするんだ」と先生は応える。

少年は、病院から劇薬を盗み、紅茶に混ぜて父親に飲ませて殺す。ビルの屋上から父の遺体を見下ろし、自らも身を投げる。

天空から地上に激突するまでをカメラで追う。投身を暗示のシーンで終わらせるのに慣れているから、告発の意図が際立つ。

今回の「残り物名画座」は、1948年の時代をザラザラと肌に擦り込まれるように感じた。