聖も俗もある盛り場を、水辺にほしい

ペリエ、眺めてました。家に買い置きがなければ、もちろん購入しました。

炭酸入りのミネラル・ウォーター。とにかく味がいい。瓶の形が好きでね。飲み終わったら、空き瓶で電気スタンドを作りたい。

近所のガラス屋に訊きました。

「窓ガラスと瓶ガラスは質が違うの」と言われる。つまり、コードを通す穴など、町のガラス屋では加工ができないんです。

だから、空き瓶がたまる一方。全部が電気スタンドに加工できたら、商売ができるくらい。

去年は、明治から大正になって100年。それを記念して都立中央図書館で「地図と名所案内でめぐる明治・大正の東京」展をやってます。

合わせて、法政大学・陣内秀信さんの2回連続講演会。

市民向けの講演会は、基本土・日曜開催が多い。おかげで、他の日程と重なる。もう、彼の講演を何回諦めたことか。

やっと、実現しました。第1回目は、江戸時代の「水の都」。続いて来週第2回目は、モダン東京から現在へ。

20年前に、神田川をさかのぼり日本橋川をくだるクルーズに参加して、川面から見る東京に魅了されたんです。

「江戸時代の水運を、ナローボートで巡れるようになればいい」と、心強い味方を得た講演会。

教授はヴェニスを研究していたんですが、江戸も「水の都だ」と気付いて、今では両方の水辺専門家になりました。

江戸時代の運送は、基本水運でした。

僕は落語でしか知りませんが、川が出てくるネタは多い。船頭・船宿・渡し・河岸・祭礼・花見・橋など。たぶん、歌舞伎や謡曲浪曲などにも、水辺のシーンは多いんでしょうね。

現在は、ほとんどが埋め立てられて、残るのは地名だけ。簡単に「橋」のつく地名を5つや10は思い出せるでしょ?

まず、出てくるのは「きやうはし」京橋。

1603年・慶長八年の日本橋とほぼ同時期の橋。石造りになったのが、明治8年。石とコンクリ造りになったのは大正11年。

話を聞きながら、今まで見て来た遺跡・遺構を思い出してました。

まず、関東の凸凹地形や東京スカイツリーからの眺望の話。それから、江戸時代の土木工事。

洪水対策をやりながら、町民がどれだけ水に親しんだかを羅列していきます。

・商業  日本橋 江戸橋 品川沖 佃沖

・漁師町 佃島 品川 深川 浅草

・名所  向島など

・芝居町 木挽町 猿若町

水は飲料や商売だけでなく、宗教・儀礼・観光・レクリエーションになくてはならないものだった。

高層マンション群のリバーサイド21はできました。ですが、水辺を楽しめるアメニティはありません。水の戯れペリエ飲みながら身近に眺めたいんだがなぁ。