もう、書き残しておくことは無い

WBC日本ナインが帰国しました。

メンバー選出後、山本監督は「皆でアメリカへ行こう」がスローガンでした。あれ?って思ってました。皆さんも思ってました?

優勝じゃないの? 渡米が目標なら、それは達成したんだからさ。選手も油断しちゃうよねぇ。

ザックなら、「W杯出場が目標」なんて言わないよ。出場を踏まえて、どう闘うかが肝心なことで。

アイーダ

さて、4月を迎えるにあたり、新しい遊びを開発中。「朗読遊びしたいなぁ」と。

その前に、手元にある朗読CDを聴き込んでます。今回は、永井荷風散人の「断腸亭日乗」。高橋昌也さんが読んでます。内容にぴったりの声。

2枚組です。

大正6年9月16日から、死ぬ前日の昭和34年4月29日までですから、日記の全貌には遠く及ばない。抄録です。

大正6年、時に荷風37歳。

ロシアで2月・10月革命で赤軍勝利。アメリカではディキシーランドジャズ始まり、ピューリツァー賞設立。フランスでは、コクトー作・サティ曲・ピカソ舞台のバレエが演じられた。ドイツでは、マタ・ハリ銃殺刑。

日本では、服部時計店創立。菊地寛「父帰る」、岡本綺堂「半七捕物帳」。

断腸亭主人と自称し、麻布の自宅を「偏奇館」と名付けて、漢文調の日記をせっせと書く。たぶん、どんな小説よりも愛していた文学活動。

死後に読まれることを想定して書く。もちろん、生前発表はしなかった。

二重三重に狷介です。この、ひねくれ具合が大好き。

日記ですから、放蕩無頼・事件・「墨東綺譚」メモ・戦争が出てきます。

ところが、70歳代後半になるとだんだん日付・天候くらいだけになってくる。

4月28日 祭日 曇り

人の最期って、これに尽きるんですね。