本を語る本は、地獄のようで天国

カメラの先っぽのレンズは、凸レンズです。

眼球と一緒だから、物をゆがんで捉える。平行線もゆがむ。そういうの「勘弁ならねぇ」と考えた写真家がいました。薈田(わいだ)純一さん。

本棚は、上から下まで5〜6枚の棚板が平行してある。全体を1枚で撮ればゆがみます。「ならば」と、1段ずつ撮って、最後に合成すれば正確な本棚の画像になる。

「シャッターは、ざっとで1万回」。この執念。

背表紙のタイトルが正確に読み取れるほど、精緻です。カメラを立体スキャナーに見立てるからには、撮られる本棚もそれに値するものをさがします。

立花隆の書棚」中央公論新社刊。

もう、彼の「本の本」は何冊も読んでますから、その流れで入手。5.5cmありますから、普通の本の2倍のボリューム。

まえがきで、薈田カメラマンに触れてました。

取材対象への喰いつきで自負がある立花先輩。労働の対価で絶対引き合わない仕事を数々してきました。出版社も著者も写真家も、儲けを放棄して作ったのがこの本です。

蔵書20万冊の前に立って、解説をする650ページ。

取材のために読んだ本が並ぶ。一種の工場ですから、消費後の「インテリア」ではありません。本棚の前には、これまた本が埋まった紙袋がうずたかく積まれている。

これをどけながらの撮影。嗚呼、妄念じゃぁ。

「この本を読めば、見方が変わります」だらけだった。一々とりあげてもきりがないほどのジャンルの広さ。そして、語り文章のうまさ。

最初から、「次はこれを読もう」という参考意欲はありません。本を語って、そう思わしめる人はこの人だけ。楽しかった。

凛として時雨