薪づくりとか、石組みのプロがいた
テレビで「あの清里は今」ってぇ番組を見ました。
週刊誌の「あの人は今」と同じ手法で、昔日の隆盛今いずこのクチ。
僕が初めて清里に行ったのは、1969年の夏。友だちのゼミの先生が、清里に別荘を持っていたから。時に、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンは、始まっていたのだろうか?
70年代に雑誌アンアンやノンノがこのキャンペーンを押し広げたのは間違いない。それが、80年代末のバブル崩壊まで続いていたとは。
40数年ぶりのタイムカプセルに乗ると、原宿化した残骸は今でも見られます。
顕著なのは、駅前。似非メルヘンのシャッター通り。廃屋のペンション群や地割れしたテニスコート跡、パチンコ屋跡ってのも見られる。宴の後を見るのは、「濡れ手で粟」のあざとさがあって好きです。
40年後の、ゆるキャラに似て。
一方、「清泉寮」や「萌木の村」を歩くのも好き。考えてる、と感じるから。ポール・ラッシュさんのおかげ。
「清里の父ポール・ラッシュ伝 do your best and it must be first class」山梨日日新聞社刊に詳しい。2つの観光スポットは値段もfirst classですが、内容もfirst classと感じさせるものがあるよ。
「萌木の村」の代表、舩木上次さんも番組にちょっと出てました。
・人はそれぞれ感動する物は違うが、そんな感受性の強い人たちが今、萌木の村には集まっています。
・ガーデナーのポール・スミザーさん、木組み天才の雨宮国広さん、薪づくり名人の輿水章一さん。
・ビール職人の中村和彦さん、バーテンダーの久保田勇さん。
・ピアニストの平澤真希さん、成尾亜矢子さん、オルガンビルダーの脇田直紀さん、フィールドバレエの舞台を企画する小林雅之さん。
彼のブログを読むと、現地で「森の暮らしのデザイン」を考えさせられる人々が列記されてました。観光地開発もディレクター次第なんだなぁ。