そもそもポストモダンを知らないので
書店のカウンターには、出版社のPR誌がよく置かれてます。
新刊紹介、受賞の言葉、作家のエッセイ、連載小説などをかいつまんで読める。なにより、愛書家向けの落ち着きが感じられるのがいいよ。
「紙の本はかく語りき」古田博司著。
筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載していた本の紹介記事をまとめたもの。連載時タイトルは「珍本通読」だった。
不思議その1。
ポストモダン時代を生き抜くための本をとりあげるというのが、謳い文句。なら、建設的でしょ? ちっとも「珍本」じゃないよ。あきれるとか、役にたたないのが「珍」でしょ?
不思議その2。
文庫にまとめられた時は「紙の本はかく語りき」。2013年発行時は、すでに電子書籍出現から数年経っているんだから、あえて「紙の本」を強調するまでもない。
2つともピント外れだね。
横浜下町の芸者町に育ったという著者。現在は筑波大で歴史学者をやってます。読書する意味をさぐる。
・好奇心 これは、わかるよ。
・知識欲 これは、あまりない。
・人格を鍛える まるで、無い。
教授になれるかなれないか、運命の分かれ道じゃ。
大学教授は、よく「自分の研究室」と呼びます。目元にかすかな矜持を浮かべていると感じるのは、僕がひねくれているからか?
子供が「秘密基地」と言う時と似て、いい年齢した大人が10畳間に憩うて妄想するのは好ましい。だけど、真顔で「研究室」と言われると困っちゃうなぁ。そういえば、「書斎」という言葉も同じ。
よく、照れずに言えるよね。
紹介されていた本は、個々にはおもしろい。が、ついぞポストモダンの現代に読むべき意味がわからなかった。
素直に、「専門外の本を読もう」とタイトルすればよかったのに。
そんなことすれば、たぶん教授業界からバカにされるからなんでしょう。不自由だねぇ。