世間から自由になるとスースーする
シャネルのリシャール・コラスさんは、小説を著きます。
生き馬の目を抜きながら、論語・美術など一見経営と無関係のことに見識が深い社長は、けっこういます。総じて、求心的なテーマ。
彼の自伝らしき「遥かなる航跡」は放心的だから、毎日同じ場所で暮らす・働くのは苦痛だろうに。「どのように社長業と両立させているんだろう」と不思議でした。
読みが浅かったです。仕事で、冒険してた。座禅もやって「腰の上に立つ」を習う。土台の腰に立てば、上半身は解放されるのにグラグラしない。
座禅、禅寺、禅僧、禅宗といいます。なんとなく「まんが昔話」のようで、好感してました。花園大学・吉澤勝弘教授の、白隠禅画講演を聞いてから、ちょっと中身を知りたくなる。
「知識ゼロからの禅入門」ひろさちや著。
一休は臨済宗、良寛は曹洞宗。「まんが昔話」のイメージは、彼らから来ていたんだ。
頓知の一休さんは、定住を好まず風狂に生きる。室町時代の人。一方の良寛さんは江戸時代の豪商の息子。托鉢して清貧に生き、子どもと遊ぶのを修業と考えた。
世間とは肩書きですね? 無位であることの、なんと寂しいことか。世間から離れたい、でも風狂に生きるのは、肩書きを得る以上に個が大事。
だからさ、せいぜいできることは、過去を振り返らず、将来に不安を持たず、今の自分を受け入れること。
禅画を描いた白隠さんもそうだけど、禅僧って、おおらかさがエキセントリックだと、例によってイメージで語る。