部下から聞く耳、持ってますか?

学校の体育は、勉強から逃げられるから好きでした。

体を動かしながら「これで授業なんだから、助かる」と、消去法の楽しみ。もっと体を動かしたい、さらに体育大学まで進学したいというのは、思いもしなかった別世界。

日本体育大学の正門前にある彫刻を仰ぐ。

「なんだか、中学生の顔だなぁ」と可笑しい。もうちょっと大人顔にできなかったの?

碑文を読むと、日体大名物「えっさっさ」踊りのポーズだって。卒業すれば、たいがいは体育の先生になる。

体の専門家 = 悩みのない人 と、他の教科の先生や保護者から見られる。性格穏健 = 常識人だから、生徒の生活指導係などをまかされる。

スポーツマンも考えてる、言葉を持ってると認識し出したのは、いつからでしょうか? 有森 裕子あたりからかなぁ?

自分を分析することに優れ、客観的に表現できる。それは、教育の成果なのだろうか。あるいは、体の思想が生活に溶け込んできた民度からなのか。

相変わらずのコメントしかできないのが野球界、と思っていたら桑田真澄が早稲田の大学院に入ったよね。

「新・野球を学問する」新潮文庫刊。

学問とは、why & howの解を追う作業。彼には経験や思い出を振り切って、質問を発するエネルギーがあったということでしょう。億単位で稼いで、一般人より貯金が多いにもかからわず、ということでもある。

いま話題の体罰を起しているのは、指導者個人だけではなく、無自覚な黙認管理者たちのこと。

アスリートは20年ほど前から意識が変わっているんだから、そろそろプロデューサーやディレクターやコーチも、メンターに変ってほしい。

ハンガリー舞曲