摘んだ薔薇を、これからFBでやっていく

完成までの日にちが、まるで読めない「フェイスブック・僕だっちタイムス」。

カミング・スーンと言いたいが、カミング・レイト。このブログを日々更新ながら、一方で過去のブログ記事をせっせと「フェイスブック・僕だっちタイムス」に引っ越し中。全部移し終えたら、それから「フェイスブック〜」に書いていくことになる。

なぜ、こんなややこしいことやってるか?

「老いては、子に従え」です。ブログには、ブログの良さがある。でも、フェイスブックやってみたかった。フェイスブックを個人でやってる人が多いから。

「コミュニティのためのフェイスブック設定もできますよ」と「音だっち」ツネツネから言われて、さっそく乗る。やってみたら、ブログのような単純な画面じゃなくて、飛行機のコクピットのように各種ボタンが目の前に現れた。いやぁ。

隣の席に、ツネツネが坐っているから、まず気持ちを落ち着けよう。

「若き日に薔薇を摘め」藤原新也瀬戸内寂聴著 河出書房新社刊。

寂聴さん87歳。老境なるも、ますます手を広げる。あと3冊は小説を書くと鼻息が荒い。

一方の新也さん。言葉・音楽・書・絵・写真・立体と創作してきて、死後に、それを体感できる場を確保したい、と。「藤原新也館」なる構想。館長になりたい。用務員でもいいけど。

・薔薇の蕾の微笑んでいる時間は短い。時を逃さず、若き日にそれを摘めと。若き日に摘む薔薇の蕾は、老いてのちに真っ赤に咲き誇るためのものであると考えたい。

ハイドンの「ラウドン」。

なにごとにも精通し、達観し、ほどほどの力で世の中を切り抜ける術を覚えることが、老いをさらに現実のものにする。これ、新也さんの言葉。赤瀬川原平さんの「老人力」。

体はほどほどしかできないのに、気がほどほどじゃない場合もある時は、どうすりゃいいんだろうか? 若いの見てると、気持ちいいしなぁ。「薔薇の蕾を摘め」と声を掛けようか。