21歳ディケンズ、フリート街デビュー

イギリスの国民作家ディケンズの小説は、タイトルばかり知っていて読んだことはない。

19世紀の人。日本でいえば、ほとんど江戸時代でかすかに明治3年まで生きた。日本での翻訳歴も長く、文学青年・演劇青年にも人気があった。

クリスマス・キャロル」「オリバー・ツイスト」など、なじみのタイトルじゃない本を見つける。

「ボズのスケッチ」未知谷(みちたに)刊。

神田神保町は、本の町。ロンドンの場合は、ストランド街とフリート街。1833年秋、21歳のチャールズ・ディケンズ青年は、書いた小説を世に問うためにフリート街にあった雑誌社に向かった。

「マンスリー・マガジン 12月号」に、初めての原稿は確かに載っていた。「ポブラ並木通りのディナー」。

あれ、僕の付けたタイトルは「郊外での日曜日」だったのにぃ。でも、いい。とにかく印刷されている。

うれしさと得意で涙があふれ、目がかすんでいた。人前に出られる状態じゃなかった。とは、晩年の回顧録

2話3話と続き、1冊にまとめれて「ボズのスケッチ」と単行本で発行された時が、1836年。

このデビュー作に挿絵を載せていたのが、クルックシャンク。ビクトリア時代は「挿絵画家の時代」といわれるほど、現代の画文同載のルーツだった。

ガス灯、石畳、レンガ壁、馬車。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」で、イライザがヒギンズ教授に出会うシーン。

極貧と金満が、同じ町の空気を呼吸する時代。これも、現代のルーツだね。挿絵画家は、その空気感を写真のような正確さで再現する。クルックシャンクあってのディケンズ

短篇を書きつないで56話、800ページ。翻訳した藤岡啓介さんは粘りの訳業。未知谷の飯島徹さんも粘りの編集だった。

フランキー・ヴァリ