立川談志師匠は、すべて怠りなく
立川談志師匠の遺骨は、無事に墓に納まったでしょうか? なにしろ戒名が「立川流雲黒斎家元勝手居士」。
高座で、よく言ってた。「坊主なんて、ろくなもんじゃねぇ」。30万も50万も払って戒名つけてもらうなんざぁ、身を切られる思い。
誰もが薄々感じていること。明朗会計を打ち出す葬儀社も多くなってきた話は脇に置いといて。
「うんこくさい いえもと かってこじ」。シャレじゃなく、ほんとにやったから引き受ける寺がない。今も、自宅に遺骨を安置してるのか。
「談志が死んだ」立川談四楼著。上から読んでも下から読んでも同じ回文タイトル。
15年ばかり、死ぬの生きると騒がせながら高座を務めていた。最期は、声帯を摘出する。声は出ないから、落語家であるより、生き伸びることを選んだ。
そもそも立川流を作ったのは、談四楼兄さんの真打ち昇進を落語協会が認めなかったから。怒った師匠は「ジョートー」と一門創設。高弟です。すでに、還暦を過ぎ総領弟子に近い。
そんな老人をつかまえて、「てめいは破門だ!」と怒鳴る師匠は、老人うつの症状。これは、高座や竹書房CD「談志百席」を聞いてわかる。
師匠は、ケチでも有名。でも、2桁の億の金を残していたとはね。身内ならではの、地獄耳。こちらもシャレじゃなかった。
そもそも談四楼兄さんが「てめいは破門だ!」と怒鳴られたのは、ケチを本に書いたから。そうなんだ。自分がわかってることを、他人に指摘されるくらい腹の立つことはない。それに、老人うつが追う。
「落語とは、業の肯定である」と称えた師匠。終世、落語家として正直だった。気が弱くて、強い人。
愛飲したJ&BをT&Dに描くイラストレーターの伊野孝行さん。ラベル遊びをやりたくなったよ。
古澤巌。