ほんと、いつも手遅れな自分

ハッキリしてないけど、あることを考えている。ふとしたことで、考えがまとまる。

イタリア人の作家、アントニオ・タブッキさんの場合は一枚の写真を見た時。ヌードの女がテラスで両手を伸ばし、大気を抱きしめようとしている写真。

・遠い昔にイメージが広がっていく衝動があった。そして、現在の私はといえば、時のなかで失われていく面影や心霊にすぎない、と。

・そうだ。私の知らない誰かが、かつての彼女に出す手紙のカタチで小説をまとめてみよう。

全部で18通の書簡体小説が、「いつも手遅れ」河出書房新社刊。

普通、手紙形式の小説は特定の1人だけ。いても2人の往復書簡。これは、一つ一つ主人公が違うから、とまどう。あとがきを読んで、最後に納得できた。

最初、カバー裏の著者紹介で読んでみたくなった。

「逆さまゲーム」「供述によるとペレイラは・・・」「時は老いをいそぐ」「他人まかせの自伝」。タイトルは、作家の視点を凝縮するから、手が出る。

「いつも手遅れ」ってのも、そそるし。

読んでみたくなった、も一つの理由は名久井直子さんの装丁だったから。揺らぎをビジュアルにする名人。

基本は挿画を使うが、今回は写真でカバーを作った。著者がインスパイアされた写真家のものではなく、マリオ・ジャコメッリのもの。

聖職者の写真で知られる。今回も浜辺に聖職者、そして手前に恋人の構図。「男・女・愛」という写真。哀しげな2人に、薄いピンクでAntonio Tabucchi。

うまい。

柴田淳