おじいさんの願いは大和の引き揚げ

おじいさんと船上で話し込む。

晴海埠頭に接岸中のオーシャンドリーム号。キャビンが公開されてるというから、地球一周する客船の様子を見学する。

横浜の大桟橋に比べると、晴海埠頭は施設がサムイ。乗り込んだのは、船の5階。ここからエレベーターで10階まで上がり、さらに階段で最上の11階へ。

目の前に、レインボーブリッジが横たわる。

豊かな白髭を蓄えたおじいさんが、カメラのレバーを操ってる。これは、これは。デジタルでなく、フィルムのカメラを楽しんでる。

「ご自分で、現像をやるんですか?」と近づく。

自宅に設備はあるけど、今は町の写真屋に出すという。板橋からやって来た。今年88歳。娘さんを亡くし、追いかけて奥さんも最近亡くした。残った息子は、キャノンに勤務中。

「えっ、それなのにお父さんのカメラはニコンですか?」

「そ、ずっと愛用してるから」。

板橋から晴海まで、近くはない距離だ。

「ずっと船に乗っていたから」。

気が休まるのだろう。

横須賀にあった帝国海軍機工学校出身のエンジニア。そんな学校があったんだ。戦時中は病院船に乗って、死傷者を戦地から日本に運んだ。

シンガポールニューギニア・フィリピン。煙突には赤十字のマーク。これは国際法で攻撃してはいけない船。バッグから、セピア色した病院船の写真を取り出す。

船乗りは、見る所が違う。

デッキの木材、階段に使われる鉄板、接合部の溶接「みんなチャチで、いやんなっちゃう」んだ。

背後から女の声。「『海賊とよばれた男』に、同じようなことが書かれてますよ」。

振り向いて「百田尚樹の?」

訊けば、この女人は軍港だった呉出身。船ときけば身がうずく。東京湾の風の中、とはいえ快晴の下で、同類たちでトーク・クルーズ。

Stelvio Cipriani