毎週木曜日は、山東京伝じゃ
江戸時代の黄表紙本作家、山東京伝(さんとう きょうでん)の講座を受けてます。今年が、生誕250年。
前に、どこまで話しましたっけ?
深川木場生まれ。9歳で質屋に奉公に出る。13歳で京橋へ。15歳の時、恋川春町が出した「 金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)」が大ヒット。
「これくらいなら、おいらだって出来るわい」と、苦節3年18歳で出したのが「開帳利益札遊合(かいちょう りやくのめくりあい)」。
両国の回向院を舞台に、恋の三角関係。
・芸者お花と半七は相思相愛の仲。そこに、大藤内(おおとうない)が横恋慕する。
・なびかないお花に、「割鍋婆(われなべばば=やり手婆のこと)にでもなれ」と、ますます嫌われることを吐く。ばかりか斬りつける。
・すると、お花の懐中にあった如来像が光を放ち、窮地を救う。
・如来の指示に従って夫婦になった2人は、回向院の開帳に参詣する。・・・おしまい。
安永7年は、長野・善光寺から回向院に出張した出開帳があって大にぎわいの年。これをヒントにしたものだった。
その時つけたペンネーム。江戸城・紅葉山の東、京橋の伝蔵。で山東京伝。
ところで、絵は誰に習ったの? はい、15歳の時に北尾派の創始者、北尾重政に入門してた。この時期、長唄も習い始めるも、音声はダメだった。
吉原に登楼し出すのは、20歳の頃。ということは、処女作は丸っきりの想像。