自然に置いたら卑小になるだけ

うろ覚えです。

高層建築を建てる時、全費用の1%を芸術・美術費にあてなければいけない。もしかすると、アメリカの話しだったかも。

で、あったとしても、なかったとしても。

個人崇拝の独裁国では、よく巨大立像が据えられる。革靴の底の厚みが、人間の身長くらい図抜けているやつ。

日本でも、B級観光図鑑っぽい本に、とんでも観音様が紹介されてる。ばかばかしい大きさで、かえって暢気になる。

反対に、英知結集・モダンデザインっぽい彫刻もある。たいがいは、失敗作。机の上で縮尺模型を試作するでしょ。それを、原寸大にして天空の下に置く。

すると、どれだけ巨大でもチマチマした「模型感」があって、地球上では樹木1本にかなわない。人間の想像力の貧困を悟るだけ。

「僕の頭の中」ブレーンセンター刊。

彫刻家・新宮晋さんの作品集。風に吹かれるままに、自在に回転・上下・左右するモビールタイプの装置を作る。

海・島・丘陵に据えた作品は、やっぱり矮小だった。

反対に、映えたのは空港内・人工池・ビルの吹き抜け。あるいは、ビルをバックにしたアングルでは作品が生きる。人造物は人造環境に置いてタメになる。

8畳間での1cmは、町・公共サイズに翻訳すれば100mくらいだろうか。空サイズに当てはめると、1kmほどか。

そうだ。高層ビルくらいで、初めて屋外彫刻たりうるんだね。

オマー・スリマン