切れ切れに続く小津映画
鎌倉で道案内を乞い、母娘と話込んだ。
ずいぶんと控えめな感じのおばあさん。昭和4年生まれ。見とれる。娘が積極的に説明してくれる。
「母は、神保町で商売やってました」
「古本屋さん?」
「荒物屋さん」。
お母さんは、お見合いで荒物屋に嫁ぐ。ほどなく鎌倉に自宅を構え、神保町に通勤するようになる。
去年暮れ、小津監督「東京暮色」を神保町シアターで見た。「ル・クレジオ 映画を語る」河出書房新社刊も読んだ。
作家は、霊感が満ちている小津映画に思いを馳せる。
・先祖伝来の生きる知恵への確信に支えられていた
新年になって、「晩春」がUtubeにあったので見る。
戦後4年目の映画とわかって驚く。進駐軍と夜の女と浮浪児の時代に、監督は穏やかな住まいの温もりを描く。
母娘との別れ際、終始無言の笑顔だったおばあさんが言う。
「娘がおしゃべりで」。
小津調映画は、まだ続いていた。