ポーが生んだ快楽の文章
ペンネームであることは、少年探偵団の小学生でもピンとくる。大人が教えてくれたは、エドガー・アラン・ポーなるアメリカ人の名前。
「ポーなんて、ずいぶんヘンチクリンな名前」と思ったが、単音だから覚えた。
ずっと、江戸川乱歩と同時代人だと勘違いしてた。
「ポーと雑誌文学」彩流社刊。
「黒猫」は1843年に発表。彼は江戸時代の人だった。文化・文政・天保・嘉永期40年の生涯。
明治になって、どっと押し寄せた洋書に乱歩は親しんでいたのだろう。あるいは、翻訳で読んでいたか?
時にポー。
推理小説以外にも、恐怖小説・ゴシック小説・冒険小説・SF・楽園小説・風刺物語・滑稽物語と、エンタメ小説全ジャンルを書いた。
書かざるを得なかった。極貧だったから。
時にアメリカ。
本のサブタイトルにあるように「マガジニストの時代」だった。マガジニスト?
編集者でありながら、雑誌に寄稿していたポー。その前提にあるのは、雑誌の黄金時代。1850年代には4〜5000種類もの雑誌が発行されていた。
そのまた前提にあるのは、大量印刷時代と大量輸送時代の産業革命。
啓蒙主義や偏狭な地域気質に対抗して、雑誌の売り上げに貢献したポー。
一方で、道徳より快楽を求めた文章は、死後になって「発見」されるようになる。
アンリエット・ルニエの「幻想的バラード」は、ポーの「告げ口心臓」からインスパイアされたものだった。