若い男子の世間が消えた
「失われた10年」に対して、「失われた20年だ」という人がいる。
当時、挨拶代わりに言われた「バブルが弾けて」始まった1990年代だけでなく、2000年代も含めて日本は、さっぱりワヤだったと。
年代論は、何を基準に語るのだろう? 誰の世代で語るのか? どんな職業で、どこに住んでる人で? 男女でも違うだろうし。
堀井憲一郎さんの場合は、以下のアイテムから00年代を考えた。
PC・携帯電話・ミクシィ・デジタルカメラ・ビデオカメラ・ディズニーシー・コミックマーケット・ライトノベル・ラーメン店・ゆとり教育・腐女子など。
スマホは10年代で、まだ無い。
「やさしさをまとった殲滅の時代」講談社現代新書刊。
ほぼ、僕の不得意分野からヨノナカを斬る。
今の若者は「やさしさをまとった殲滅の時代」を生きているのだという。
やさしさは、居心地がいい。しかれども、このうっとうしさは勘弁してくれ、と。
便利なヨノナカではある。だけど、すぐ倦んでしまう。
権威カルチャーがあるから、対抗カルチャーがある時代は、まだしも幸せだった。敵がいない社会のもどかしさ。
個が尊重され、され過ぎたのに、同調圧力がある。
堀井憲一郎さんは、1958年生まれ。つまり、おじさんが語る若者論。
見せかけ父性社会・実質母性家庭の伝統は、ここに至って母性が社会に広がった。
母親から「他人に迷惑をかけない人になって」と育てられた若者に、「迷惑くらいかけたらどうだろう」と進言する。
生きるのは、「他人に迷惑をかける」と同意語だから、ずいぶん遠慮したもの言いだね。