音楽の天才は、言葉の天才?
池内紀さんは、僕のドイツ案内人だ。
トーマス・マンの講演で、すっかり人柄にほれた。今回は、国際基督教大学で「旅するモーツアルト」があった。
残念ながら、行けなかった。行けないなら、「どんなことを講演したんだろう?」と、自習して想像する。
まず、時代。1756〜1791年。35年の生涯。
ヨーロッパなら、英・産業革命、独・ゲーテ、仏・フランス革命、イタリアは年表にほとんど出てない。
というのも、神聖ローマ帝国領のザルツブルグに生まれて、彼はたびたびイタリア旅行をしていたのだ。
3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲を始めた息子のため、親父はウィーン、ミュンヘン、パリ、ロンドン、イタリア宮廷に就職活動の旅に出る。まだ、10歳未満。
13〜15歳の時にミラノ、ボローニャ、ローマを回る。システィーナ礼拝堂で、グレゴリオ・アレグリ「ミゼレーレ」を聴いて暗譜してしまった。
この時代、神父は作曲家でもあったのだ。
22歳で、パリ滞在。貴族の館に招かれて披露したのが「パリ」。交響曲だけど、楽器編成は現代と同じなのか? 絶賛されたけど、稼ぎはサッパリ。
25歳で、ウィーン定住を決意し、旅芸人時代が終わる。
30歳の時に発表した「フィガロの結婚」が大ヒット。プラハに招かれる。