今語る「小津安二郎論」
ものすごく勇気のいる仕事だったと思う。「東京物語」といえば、小津安二郎監督だから。
うるさい映画通、映画評論家、映画監督など、いわゆるギョウカイが何と言うか。これを乗り越える勇気。
どうしたって比べられるから、カットカットをどう演出したらいいか。それを突抜けなければ、製作できない。突き抜けたところで、やっと準備にかかれたのだろう。
オマージュだから、ストーリーは一緒。ストーリーがあまり重要でないことが、よくわかる。
※見る前にネットでストーリーを予習する情報過多連中がいるけど、スクリーンで復習して何がおもしろいのかな?
それより大切なのは、描き方。
小津版は、過去が現代に会う話。老夫婦ミーツ子ども。「永遠」から見た「目先のこと」。
現実のすったもんだを描いて、監督は「まだ、そんなことやってんの?」と言いたかったのかもしれない。
山田版は、現代が過去を発見する話。子どもミーツ老夫婦。「現実」が「過去」を見て、将来を讃歌する。
ラストシーンがどうなるか、を思いながら見ていた。老人を見舞う少女の後ろ姿の美しさ。監督は、「いろいろあるけど、将来も大丈夫」と言いたかったか?
ところで小津版が撮られた年代に比べて、現代は寿命がどれだけ延びたか。
7掛け、とよく言われる。今が60歳なら、昔の42歳と同等。30歳なら、21歳。
確かにハツラツと未熟が同居する。一方でほめららることが、他方ではため息で迎えられる。