2度と戻れない永代橋
親父の墓は、高輪にある。付近を散歩して、とある寺の案内板を読む。
承教寺。町絵師・英一蝶(はなぶさ いっちょう)の墓がある寺。それだけなら、印象に残らない。「島流しされ、後に江戸に戻った」という文章があった。
絵描きが島流しされるって、彼は何をしたんだろう? と気になっていた。
講談を聞いて、理由がわかった。
新宿永谷ホール。永谷といえば、お江戸日本橋亭・お江戸上野広小路亭・お江戸両国亭を経営してる。新宿にもホールがあったのだ。
落語の寄席は、1月中を初席という。1人5分程度、噺の内容より顔見せ興行。普段はガラガラでも、初席はにぎわう。
日本講談協会の定期公演は、1日だけの初席すらガラガラ。約80席の内、客は10人程度。映画のミニシアターで慣れているから、心細くはない。
神田阿久鯉さんは、真打ちになる前に2〜3回聞いた。彼女が読んだのが、英一蝶の話。
京都生まれ、江戸に下って風俗画の絵筆をふるう。その時の名前は、多賀朝湖(ちょうこ)。
松尾芭蕉や宝井其角と友だちになる。たいこもちになり、紀伊國屋文左衛門は遊び相手。
琵琶湖畔に浮かべた舟で客を待つ白拍子を描いた「朝妻舟図 」。これに、時の権力者・柳沢吉保が激怒した。出世のために、実の娘を将軍綱吉へ側室に差し出した風刺だ、と。
三宅島に流罪になる。永代橋での別れに、宝井其角が見送りに来る。永代橋は、2度と江戸に戻って来れない時の出港拠点。
ところが、綱吉死亡し大赦で12年ぶりに江戸に帰って来た。
阿久鯉さん、もはや初々しさは無い。でも、話のリアリティに重さがある。「まるで、見てきたよう」とは、このこと。
誰も見向きもしない講談・浪曲に、また夢中になろうかな。