したいことないし、が青春
映画館に行って見る映画「ほとりの朔子」。
テレビで放映されるものは、ストーリー鮮明・誇張した感情と動作・これみよがしなCGじゃないと、すぐチャンネルを変えられる。
深田晃司監督「ほとりの朔子」は、そういう要素がすべて無い。青春に、さして事件は起きないことを語る。
18歳の朔子は、生きづらさを感じてるわけではない。日記ふうに展開する、2週間の夏休み。
上映後のトークイベント。「もう、公募作品は90%以上はトラウマものです」と、辟易した顔で語る平田オリザさん。
映画に限らず。音楽でも絵画でも文学でも戯曲でも写真でも、平たく言えば「どれだけ傷ついたか」を発表する。
描かれた青春、の伝統。
圧倒的多数の青春実像は、何かにまとめるほどのことがない。
と、ここから映画が始まる。ありがちなキッカケに頼らず、まとめようとしない終末。すごいと思った。不安はなかったのだろうか。
「ほとり」とは、陸と水の際。これすなわち、子どもから大人への際。
二階堂ふみ演じる、ぼんやりしてる朔子。気付かないままの一生でもよかったのかも感が、うまかった。
ちなみに、「この映画で、何がいいたいの?」という質問は、日本人記者だけのものらしい。
平田オリザさんは、国際派だからなぁ。