切り抜き・ペタ張り、続行中

月曜から金曜まで週5日、朝日新聞朝刊に連載されている夏目漱石の「こころ」。古びてない。

ちょうど100年前の連載を再録。スタート時に、「張り付けられる『こころノート』をさしあげます」と告知があったので、申し込む。

17日に販売店から届く。

切り抜いて糊で貼付ける。作業が、ガチ年寄り遊び。

しがない感じを向上させるためには、化学糊じゃダメ。ここは、やまと糊を入手する。張った後に台紙が波うつ。まさに大正時代の内職もかくや。

手早く読みたいのなら、本を買ったほうがいい。

現代では「こころ」は純文学なんだろう。ところが新聞小説というのは、通俗小説というのが通り相場だ。

そのギャップは、どこらへんにあるか実感したいから、現物の本は買わない。

代わりに読んだのが「漱石とその時代 第五部」新潮選書刊。江藤淳さんの、漱石評伝の集大成。

江藤さんが自殺した時は、「坊ちゃん」しか読んだことなかったから、手が出なかった。

本来なら、「第一部」から読むのだろう。でも、「こころ」は晩年の大正年間に執筆されたのだから、まずは最終巻「第五部」から。

大正3年4月10日、第1回は鎌倉のシーンから始まる。

明治天皇崩御の直後に、漱石自身が見た鎌倉の海。「先生の遺書」とあるから、最初から喪失感・崩落感のある小説なのはわかる。

漱石は「小説記者」として入社した。月給は部長を上回る額。現在の朝日新聞の部長は、100万円ほどもらっているか?

入社第1作目「虞美人草」は、人気になる。11作目「こころ」の頃になると、社内でも評価は堕ちて無視される状態になる。

加えて、持病の神経衰弱と胃潰瘍と痔をかかえてる。誤植があって、社に抗議の手紙を送る。

高額の収入を手放せない苦しさの中、次の連載作家への交渉もしなければいけない。

「こころ」では、文明を書いた。家族、友情、金銭、恋愛もある。それが「純」であって「通俗」でないのは、どのへんなのか?

連載は110回あるという。「こころノート」は40ページしかない。あと2冊必要になる勘定だ。

Ben Watt with David Gilmour