悪は悪人が起すんじゃない
文芸誌「新潮」が創刊110年を迎えた。創刊は1904年。
日本の文学青年の誕生は、「新潮」が担ってきたのだろうか。岩波は学術的だし、文芸春秋は大人的だし、講談社は大衆的。
「世界の果て、彼女」クオン刊。
著者のキム・ヨンスさんをシンポジウムで見た。発言から、新しい韓国世代の登場を感じた。
1970年生まれ。1988年ソウル五輪の時は18歳。その時、若い彼は軍人独裁の暗黒から民主化へ歩むファンファーレを感じただろうか。
7つの短篇は、どれも日本の作家の感性と変わらない。もはや差異がない。政治的イデオロギーより、日常の感覚表現。
彼が「世界の果て、彼女」の原稿を書いていた時の曲を、聴いてみた。
La Buena Vida - La mitad de nuestras vidas
そして、中国。感受性の赴く先は、どうしても社会・政治に向かう。
映画「長江哀歌」を撮ったジャ・ジャンクー監督の新作「罪の手ざわり」を見た。邦題は「A Touch of Sin」を訳したんだろう。
原題は「天注定」。中国人に訊いたらTian Zhuding「テンジューディン」と発音する。意味は、運命は決まっている。西洋的な罪というより、諦念のため息のほうが東洋的だ。
4つの話は、どれも実際に起きた事件を参考に監督が脚本も書いた。贈収賄・扶養家族・女性蔑視・若者貧困。それを、殺人・強盗・自殺で解決しようとする主人公たち。
彼らは、悪人でなく普通の人々。
権力は、より小さい権力に向かって順番にいじめる。主義が共産だろうが資本だろうが、一緒。
いじめる側から書けばブルジョア文学、いじめられる側から書けばプロレタリア文学。
気分がコダーイになっちまった。