物干から爆撃機を見た少年

日本報道写真の草分け、名取 洋之助。編集者でもあった。数年に1回は、回顧展がある。

彼が作った事務所が日本工房。

仲間に、木村伊兵衛、原弘、伊奈信男、土門拳山名文夫亀倉雄策など。彼らと一緒に、日本対外宣伝誌「NIPPON」を創刊した。

戦前の話で、当時最高レベルのクリエイターたち。

敗戦で、「NIPPON」は廃刊になる。もちろん、日本工房も消滅したと思っていた。会社は、戦後も存在していたのだ。

そこから発行していた広報誌「プロモート」に、寄稿する作家がいた。社員が作家に声をかける。

「戦艦『武蔵』の建造日誌の写しが会社に保管されているのですが、これで小説を書いてみないですか?」。

吉村昭戦艦武蔵」誕生のいきさつだ。なにより、日誌には熱気があった。

「評伝 吉村昭白水社刊、笹沢信さんの渾身作から。

吉村昭は鳥瞰の視点でなく、地を這うようにして書く秀逸な記録文学者。読めば、誰もがその場に居合わせたように感じる。

戦艦武蔵」も同じ。

長崎造船所で「武蔵」が進水した時、長崎港内の水位が急に高まり、津波状の波が対岸に押し寄せ床上浸水する。

彼、39歳の時。務めていた会社の退職金だけでなく、かみさんからも金をもらって全国に調査・取材を始める。

国家の大事業を仕事にする、影響を受ける、眺める。どれだけの人に取材すれば「戦艦武蔵」が書けるのか、読んだ時は圧倒された。

評伝では、戦記・海洋・漂流・逃走・動物・江戸・明治記録文学など、とてつもなく幅の広く多作の人。

戦艦武蔵」と同じ、キッカケにはいつも「ひょんなこと」から。琴線に触れれば綿密な取材をするから、読者は精神的風景・季節を味わえる。

若い頃、川端康成志賀直哉梶井基次郎を耽読していたとわかって、描写力の源流に触れた気分。

Fred Hersch - In Walked Bud