これも巨匠の影響か
東大駒場キャンパスの学生食堂でカレーを食べた。
学食、売店、ホールなどが次々と完成。遠目には、スチレンボードと針金で組み立てた建築模型に見える。
戦後のモダニズム建築は、保存されたり取り壊されたり。源流の一人がル・コルビジェ。
よく聞くけど、どんな人?
1908年、永井荷風がパリに逗留していた3月に、スイスからやって来たのが建築家の卵ル・コルビジェ。
東秀紀さんは建築史家だが、文学にも興味があったのだろう。本に書かれた両者の接点は1908年のエピソードだけ。会ってはいないから、タイトルがいささか強引。
でも、出自や仕事内容がわかった。ピカソやコクトーと遊び、本人は家具と建物と都市計画にいそしんだ。
「モダン」の巨匠である理由は、要するに雑然としたものを追放したこと。
荷風がこうもり傘で散歩したような歴史的記憶の場所を、「エィヤッ」っと直線に引き直す。幾何学的・抽象的な美しさにひかれた。
影響は絶大。日本の巨匠・丹下健三も蝶ネクタイ姿を真似た。
ここに、フランス人写真家マリー・パッサの個展案内。
彼女は、かつての建築学生。写真家になってル・コルビジェ建築を追いかける。哲学者ウィトゲンシュタインの思想に影響を受ける。哲学者ウィトは、建築家でもあったのだ。
建物をめぐって、いろんな人が出入りしてる。
Casa BRUTUSのル・コルビジェ特集に、絶対出てこないエピソードがあった。
かみさんは、亭主のやることがいちいち気に入らない。終世「知恵足らず」と思っていたふしがある。
下男のように追い立てられるも、彼女が先に亡くなった時は身も世もなく泣き崩れる巨匠だった。