好きなプールは大正から
午後、屋外プールに行くと、水じゃなくてお湯だった。
地下鉄・芝公園駅から徒歩1分のプール。 正式には、芝公園多目的運動場(アクアフィールド芝公園)という。冬場は、フットサル場に変更するから「多目的」と称す。
通い始めた15年前は、純粋にプールだけだった。
光の乱反射が底に揺らぐので、夏は屋外にかぎる。
コース方向に泳いでいると、右から左へ潜水小学生が横切る。眼下の熱帯魚のようだ。餌を播きたくなる。
・新し物好きの港区
胴・腕・足を覆うラッシュガートなる水着着用の男女多し。まだるっこしくないのかなぁ。
・大使館の多い港区
ロシア人が5人ほど。全員ブルース・ウィルスのようにスキンヘッド。水中では日本人彼女とキスして戯れる。
中には、上半身を浮き袋に預け、右足はプールに左足はプールサイドに掛けるという胯裂ポーズもあり。
7月から始まった「芝の語り部養成講座」でもらった資料にも、このプールが載っていた。
港区教育委員会編集のものだから、詳しいよ。
大正12年、プール完成。
大正15年には、1周200mの陸上競技場と2面のテニスコートができる。現在の野球場とテニスコートあたりだろうか。
戦時中は、陸上競技場に高射砲陣地が設営された。
3月10日未明の東京大空襲は、よく下町被災が取り上げられる。芝地区もB29で3回爆撃を受ける。50%が焼失し、増上寺の堂宇はあらかた亡くなった。
そして、戦後。
被害のなかったプールは、米軍に接収される。もちろん、GIの隣には日本人の彼女がいただろう。